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(東京都八王子市西部地域の方言)



〜祖母(大正生まれ)の話し言葉〜
付録










八王子弁 つれづれぐさ


編纂者の雑記を掲載しております。





2012年3月12日(月)
「高尾山で見た妙な八王子弁」


今年の1月、高尾山に登って参りました。道々お店を一軒づつ横目で覗き見ながら登っていたところ、とある売店の前に堂々と掲げられていた看板に目が止まりました。

【いちおっぺし!】

「いちおっぺし?」



… … …

ハッ!
「いちおし(おすすめ)の事か!
と気がついた瞬間、ガックリと肩を落としました…。

何故かと言うと、八王子弁の「おっぺす」=「押す」は動詞であり(実際に存在する物体を押す)、「おっぺ」と来たならば後ろに「…た」「…て」「…ます」「…ながら」「…込む」等と続き、全て動詞として使われます。つまり、【動詞】「おっぺした」を「おっぺ」で切って、「いちおし」の「押し」に【名詞】として当てる表現は無いのです。

八王子で「いちおし」の事は、そのまま「いちおし」と言います。

「道の駅 八王子」で売っている【おっぺおやき】や、昔は八王子と共に『武蔵国』と呼ばれた武蔵村山市の「紀伊国屋」さんで売っている【おっぺ餅】が、「おっぺ」で切られているのは、いわゆる【蒸パン】【落蓋】と同様の変換(後ろに来る名詞を動詞が補助する形)で生まれた、「名称(商品名)」だからです。
※紀伊国屋さんの「おっぺし餅」についてですが、商品名の由来について、まず「方言の『おっぺす』を前提としている」と商品の説明書きにシッカリと記されています。そして「方言を使う事によって『気安く親しまれるお菓子』になってくれる事を願って名付けた」そうです。

ちなみに、「おっぺす」の元々の語源は「押して圧する」なのだとか。後に、現代でも同様に行われる「略語」の対象となって「おっぺす」になり、そして更に「おっぺす」は単に「押す」事を意味する言葉として広まった模様です。

この様に、言葉とは時代と共に意味や語呂が変化して行くもので、最近では一部の若者が「おっぺし」をそのまま「いちおし」の意味で使っているそうで、今の所は『若者言葉』止まりですが、もしかすると、新しい意味として多くの人々に使われる日がやって来る可能性も有り得ます。それはそれで、とても良い事だと私は思います。
≪余談≫千葉、埼玉では、「押し出し」(名詞)を「おっぺし」と言い、例えばサッカーで「今のはおっぺしだ!」などと使うそうです。また千葉では「船を押していたおばあさん達」の事を「おっぺし」(固有名詞)と呼んでいるとか。丁寧に言うと「おっぺしさん」となるのかしら?





ミシュランガイドに掲載されてから、高尾山は突然、一気に様変わりしました。静かで登山者がまばらで落ち着いた、山らしい山だったのが、今は「ケーブルカー乗り場」前の広場から、山頂直前の寺院「薬王院」まで、道のあちこちに色々な石碑が寄贈され増え続け、薬王院の四天王門をくぐってすぐの場所には「御利益」を享けられる何か巨大なものが置かれたり…。
※ですので、石仏や石碑が置かれたのがミシュラン掲載前か後かを判断するのは簡単です。昔からある物は多かれ少なかれ風化が進んでいていますが、新しいものは石がツルッツルしてます。その差が激しいったらないから!

昔は四天王門の「四天王様方」と「天狗様」「烏天狗様」の像と古い石碑くらいしか無かった(ような気がする)のですが、今はお土産も増え、何だかテーマパークみたいなお寺になりましたね。
※以前、薬王院でお守りを選んでいる時に、『「天狗様」(赤色)と「烏天狗様」(緑色)の違いは何ですか?』と売り場の方に伺ってみたら、『「修行を終えている」か、「修行中」か、』だと説明を受けました。つまり天狗様は元々、烏って事?

お坊さん方も御本堂でお経をあげる回数が増えましたし(参拝者増により御護摩修行の希望者が増えた結果だと思います)、おかげで御本堂と書院を歩いて行き来されるお坊さん方の列を高い確率で拝見出来る様になりました。有り難い事です。

ミシュランのお陰で、八王子へいらして下さる方々が増え、財政的にも八王子市は大きく潤いました。昔は「東京のド田舎」と、からかわれる対象だったのが、急に「自然の多さ」を称賛されたりと、八王子の地元民として私は、有り難い半面、困惑気味でもあります。

もちろん、このブームを逃さず「八王子を観光名所にしよう」と躍起になっている八王子市民もおります。しかし、安易に「八王子に関するものは何でも利用しろ」的な動きはどうなの?と思ったりしてしまうのです。





テレビのバラエティ番組の影響か、地方の方言が面白可笑しく取り上げられるようになって、どのくらい経ちますか…。戦前までは東京の各地に確かに方言がありました。某TV番組で道府県民が方言を披露する度に、「東京都民」が参加していない事について私は、つまらない気分になる時もあります(芸能人の中にだって江戸弁や多摩弁を話せる方がいらっしゃるはずですから)。でも、今は殆どの八王子市民が東京弁しか知らないのに、商売を繁盛させる為に、わざわざ押し入れの奥で虫食いに遭っている資料を引っ張り出して来て、何とか読めた所だけを掻い摘んで詳しく調べもせず「八王子の方言です!」と間違ってお披露目されてしまうと、八王子弁をまとめている私にとっては複雑な思いなのです…。

別に、「いちおっぺし!」と商店街などで面白可笑しく、新しい言葉として広めるのであれば意義は申しません。それこそ、それはそれで楽しい言葉ではありませんか!ぜひ、やってほしいくらいです。

しかし、高尾山は本来、太古の昔から、仏に仕える身の方々が修行を行う「祈りのお山」であり、薬王院は千二百年以上前から、時代を、先祖達を、見守って来て下さいました。周辺の県にまたがる山々や、裾野に住む民だけでなく、信仰の霊山として、日本人にとって、日本国にとって、真面目に重要な場所なのです。

その真面目な場所で、しかも今、八王子を代表している様な場所で、海外から全国からやって来る方々に向けて、“八王子弁話者すらピンと来ない”「いちおっぺし」を、店主は物好きなお客にどのように説明しているのか…。単なる知識不足ゆえの先走りなのであれば、まだ救いがあります。しかし、もし先に上げた「若者言葉」同様に「新しい言葉」として広めようとしたのであれば、場違いではないかと思うのです。まさに今、高尾山に増えている「山ガール」くらい全国に定着していれば話は別ですが、お客さんが目にしたとしても「商品名?」と勘違いして素通りしてしまうのではないのでしょうか。また、「山ガール」自体も流行が終わればいずれ消えて行くかもしれない言葉です。今、「いちおっぺし」を堂々と「歴史ある高尾山」で表に出すのは、昔からある方言だと勘違いされる確率が高く、「早計過ぎる」と私は言わざるを得ないです。

代々使われて来た「八王子方言」を高尾山で披露するのであれば、それはとても良い事だと思います。高尾山を登山される方々が「方言」に触れる事で、遥か昔の、高尾山で修行された僧侶の方々や、強い願いを抱えて必死に薬王院を目指し高尾山を登ったであろう庶民の人々の姿を思い起こし、「ただ登り、自然を観察し、ガヤガヤと騒ぎ、お土産を買い、下りて来る」のではなく、高尾山で永く永く歩かれ続けられて来た道をしっかりと踏みしめて、強い「祈り」を吸収しながら、大きなエネルギーを頂いて下山する事が出来ると、私は思います。


話が少しずれますが、高尾山には登山道があちこちにあり、登山を趣味とされる方々が好んで通られる「舗装されていない」山道の一部が、自然保護の為に一時的に閉鎖されると言う事態が起きています。歩く方が増えたせいで、山道の土がすり減り、木々の根が丸出しになってしまい、それを登山者が踏んで歩くと言う、木々のみならず、お山自体が痛々しい状況になってしまったのです。

登山を心から楽しむ事を知っている登山愛好者の方々だからこそ、どうか、出来るだけ、舗装された1号路を登って頂きたいのです。ミシュランに掲載される前は、私も1号路以外の山道を良く登りました。しかし、掲載後は一度も通っておりません。惨状を知ってから、歩いておりません。八王子の民としての必然の判断です。


はなふさ あんに


 






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