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八王子の方言

〜祖母(大正生まれ)の話し言葉〜

 

付録






方言について頂いたメッセージ

うぃん様からのお便りと当方からのお返事を掲載しております。





2011年2月17日(Thu) うぃん

【多摩弁・八王子弁

はじめまして。
「八王子弁」のページ、いつも興味深く読ませてもらっています!

多摩の方言や歴史に興味があり、このサイトに行きつきました!
自分は杉並区の荻窪の近くに住んでるんですが、祖母・祖父の代から東京生まれ東京育ちなので何個か当てはまる言葉もありました。
「あすこ」「あるってく」「あに(何)」など。

歴史の経緯を見ても、23区西部(杉並区・中野区・世田谷区西部)はもともと多摩郡の農村だったためでしょうか!

さて、自分は今年で高校1年生になります。
同年代の友人はほとんどが多摩地域の人で、遊び場も多摩地域内です。

その友人たちと知り合った時、本当に驚いた事がありました。
それは「言葉の違い」です。その頃はまだ方言などには興味がなく、「多摩弁」の存在も知りもしなかったのですが、
知りあって間もないある日、その友人が発した「ちゃけるべえ」という多摩弁が理解できず、「ちゃけるって何?」とたずねたところ、「壊れるって意味だべ」と返ってきて、とてもびっくりした事がきっかけでした。

その友人は西多摩の人です。
他にも北多摩や川越、高尾、ちょっと遠くだと横浜にも友人がいるのですが、みんな明らかに言葉が違うんです!

どの友人も語尾の「べ」はもちろん、北多摩の人は勧誘の意味で「しようよ」を「するべえ」と言ったりもします!

多摩丘陵の切り崩しや農家の減少・方言の消滅など、何かと多摩の文化や歴史が忘れ去られてきている現在ですが、
僕たち平成生まれの世代でも、家族がみんな多摩生まれ多摩育ちなら多摩弁を意外と使っているんです!

僕の住んでいる23区西部は、昭和30年代までは多摩郡時代の名残として水田や畑・雑木林がたくさんあったそうですが(僕の祖母の話)、
残念ながら今はほぼ全部が宅地化され、ほんのわずかな方言の名残や、閑静な住宅街の中にある暗渠化された田んぼの用水路跡が残るのみです。

でも、多摩地域にはまだ高1なのに

「あんだよあれ、ちゃけてるべ!」
「あすこまであるってきゃあいいべ」
みたいな言葉を話す奴もいますし、「崖」を「ハケ」って言う友人もいますw

下の方の書き込みで、多摩弁が健在である事をおばあさまに伝えたら喜んでいたとのことですが、
ぜひこの事もお伝えください!
きっとおばあさまも喜ばれると思います。

もしお伝えされたら、おばあさまがどんな八王子弁で反応されるか知りたいです!

「方言」をはじめとする多摩地域の伝統文化は、僕たち若い世代がきっちりと受け継ぎ、残していくべきものですね。

突然の長文失礼いたしました!





2011年2月25日(Fri) はなふさ あんに

【多摩弁・八王子弁・そして江戸弁

東京23区民〜、23区民の〜、うぃん様!こんにちは。ようこそ西東京へ!

うぃん様へのお返事を書いていました所、私の「書き出すと止まらない」癖で、ここの掲示板では読むに堪えないであろう超長文になってしまいました。汗。
続きのお返事は他のページに載せてありますので、上の、私の名前の右にある【URL】をクリックして『掲示板(サブ)』を開いて下さい。お手数お掛けします。

では、よろしくお願い致します。




〜以下、「掲示板(サブ)」ページから転載〜


 『はなふさ あんに の 掲示板(サブ)』
2011年2月25日(Fri) うぃん様へ

高校1年生と言うと、うぃん様の御祖父様と御祖母様は戦前のお生まれでしょうか?江戸弁・多摩弁が、現在の東京弁に取って代わる目まぐるしい文化変動の中で人生を歩まれながらも、都会っ子のお孫さんに一部分でも地元の方言を託す事が出来ているお二人は本当にお幸せですね。


さて早速ですが、まずは「ちゃける」「はけ」についてお答えしたいと思います。私の祖母に確認を取りました所、残念ながら「ちゃける」は聞いた事が無いそうです(祖母は「ぼっこわれる(ぼっかあれる)」と言います。ちなみに「壊す」は「ぼっこす」です…)。もしかすると、うぃん様のご友人が住まわれている地域のみで使われているか、または、ご親類やご先代に宮城県の仙台(「壊れる」を「ちゃける」と言うそうです)ご出身の方がいらっしゃるのではないかと思われます。戦後、土着民の数を遥かに上回る他県の人々が東京へ流入している上に、東西に広い多摩地域の中で、「ちゃける」に限らず、現代、一つの単語を『多摩弁』か否かを判断するのはとても難しい事ですので、確実とは言えませんが、とにかく祖母の使う方言の中に無い事だけは確かです。そして次は「はけ」ですが、祖母いわく「崖」はそのまま「崖」と言い、「急に下った斜面(人が歩く所では無い)で、ゴミを捨てる場所」の事を「はけ」と言うそうです。地形的には「崖」とほぼ一緒なのですが「ゴミ捨て場」としての意味が強いとの事でした。よって【意味が違う】のですが、こちらは『どちらも多摩弁』と言って間違いない程度のズレでしょうね。地域差や、祖母と、うぃん様のご友人の年代差を考えれば、言葉の意味が少しずつ変化している事の方が当たり前でしょうから…。

荻窪近辺にお住まいとの事で、確かに23区と言えど江戸からは遠く、多摩弁が混ざっていても不思議ではありませんね。とは言え、うぃん様が受け継いでおられる方言は、どちらかと言うと比率的多摩弁よりも江戸弁が強い様に私は感じるのですが、いかがでしょう…?(専門家ではありませんので断定はできませんが…)うぃん様は江戸を舞台にした時代劇はお好きですか?その中で、いわゆる「べらんめえ調」と呼ばれる話し方をする人物が時々登場しますが(TVドラマ『八丁堀の七人』で村上弘明さんが演じる「青山久蔵」など…)、
「やつぁ よしゃぁいいのに あすこを 挨拶もしねえで あるってやがる 危ねえったらねえや」
…たぶん、こんな感じの話し方が『江戸弁』で、「あすこ」「あるって」は江戸弁が発祥ではないかと感じます。ただし「あに」は『多摩弁』でしょうね。東京都東村山市出身の志村けんさんが良く使われていて有名ですし(「あんでもねえよ〜」)、江戸っ子は「なに言ってやがんでえ」と、ちゃんと「なに」と発音してる気がします。

さてさて、次にこれからお話しする内容は、地図を参考にして頂いた方が分かりやすいと思いますので、以下のサイト様をぜひ開いて、横に並べ置いてお読み頂ければと思います。

★『人力(じんりき)−旧街道ウォーキング』様のHPに旧甲州街道の地図がございます。→『甲州街道を歩く
★『日本神話の御殿』様のHPに旧国名で記された地図がございます。→『旧国名地図

江戸「日本橋」から甲州街道を延々歩いた【甲斐の国】(山梨県)へ入る寸前の場所に住んでいる私の祖母の話す言葉は、『江戸弁』はもちろんの事、甲州街道を甲斐から江戸へ向かって歩いた人々の『甲州弁』も入り込んでいますので『江戸弁と多摩弁と甲州弁が混ざった八王子弁』と言った感じです。それから、『多摩弁』の最も重要な特徴の部分なのかもしれませんが、私の祖母は「〜だべ」「〜たべ」では無く「〜だんべ(〜だんべえ)」「〜たんべ(〜たんべえ)」と言うんです…。これは【上州(上野)の国】(群馬県)の方言だそうで、【武蔵の国】西北部(埼玉県西部)経由で、同じく【武蔵の国】西中央部の祖母の生活圏に伝わって来たようです。と言う事で、祖母の話す言葉は、基、『江戸弁と多摩弁と甲州弁と上州弁が混ざった八王子弁』です…。う〜〜ぅ!パ二ーーーック!!
…尚、これまた重要な事なのですが、【相模の国】(神奈川県西部・中部)に近い八王子の土地では「だべ」が使われている様なのです(「だべ」は【相模の国】が発祥なのかもしれませんね)。
と…、色々語りましたが、詰まる所、八王子と呼ばれる地区は、広い上に山の麓の山間部にそれぞれの部落が隔離された様に点在していた為、部落ごとに方言もちょっとずつ違い、『八王子方言』と一括りにして語る事が出来ない部分があります。と言う事は尚更、先にも申しました通り、東西に広い地域をひとつに囲み『多摩弁』と言う通称を世にまかり通らせてはいても、昔は林や田畑ばかりで部落は孤立点在していたであろう(うぃん様のおばあ様が語っておられるように。お隣さんが数100m先…とか。笑。)昔の23区西部や多摩全土では、東西の地区ごと地区ごとで方言が育っており(伝言ゲームで生じる状態に似ているかしら?)「これが多摩全土で使われていた多摩弁だ!」とハッキリ紹介できる言葉は少ない様に思います。
うぃん様なら、ご自分が先代から受け継いだ方言を『これは江戸弁に多摩弁が混ざった杉並弁だ!』と胸を張って宣言された方が、相手もご自身もスッキリされるかもしれませんね。ふふふ。

でも強いて多摩弁の特徴を上げるとすれば、まず文末に「べ(べえ)」が付き、江戸弁で「〜じゃねえか」と言う所を「〜じゃんか」と言い、「何」を「あに(あん)」と言い、あんだか知りませんが動詞の前に「おっ(おん)」に代表される「〜っ」「〜ん」がやたらに付いて、そして甲州街道の産物である粋の良い「せっかちな江戸弁変換」が混じる…(「おめえはうるせえな!」「乗りゃあしねえよ!」「そんくれえは知ってらあ!」「食いたきゃあ走って来いってんだあ!」とか…)そんな所でしょうか?

うぃん様のように、現代でも古い方言を使う学生さんが残っているのは、仲間関係の良好さゆえと思います。
うぃん様より、ずーーーっと私は年上なのですが、実は八王子弁を操れません。私の世代(第二次ベビーブーム世代です)の親たちは終戦直前・直後の生まれが多く、母(祖母の娘)が成長すると共に東京は大都会へと変貌して行き、「田舎者」である事を恥じる風潮が生まれ、私の母は田舎臭い方言を封印してしまいました。ゆえに、母が日常生活で八王子弁を使わなかったものですから、私は学ぶ機会が無く、子供の頃からいわゆる“標準語に微量に方言が残った”『東京弁』で育ちました。地元の小中学校でも、皆が東京弁のみを使っていたと思います。元々は土地の殆どが山林・竹林だった八王子では戦後に住宅地へと切り開き、他の地域から移り住んだ人々の割合が多かった…と言う理由もあるかと思いますが、母と同年代の数少ない土着民らの子息・子女達が、ちゃんと八王子弁を受け継ぐ事が出来なかった事は確かです。(ちなみに、私は地元・八王子の高校に通ったのですが、杉並や吉祥寺から通学していた都会っ子の友人達にも、一度も私の使う言葉に対して指摘された事はありませんでした。)

現在、八王子弁をイントネーションからリズムに至るまで完璧に操り使っておられるのは一部のお年寄りの方々のみです。このところ、私の世代が使わない(知らない)「単語」など、不完全ながら部分部分の八王子弁を親族から受け継いでいらっしゃるお若い方々(うぃん様と同年代くらいです)が存在している事が判明しており、とても微笑ましく喜ばしい事と思っております(ただし…女の子達は、多摩弁の大きな特徴である【現在は男言葉と化した「江戸弁変換」】や「だべ」は、よっぽどの事が無い限り絶対に使わないでしょうね…。“よっぽどの事”についてはご想像にお任せします…汗)。
しかし、彼らがいずれ社会へ飛び出し、【都道府県民のるつぼ】東京で働いて行くには、やはりどうしても「共通語=東京弁」を使わなければなりませんし(都外から上京して来ている方々がやっておられるように…)、また今後は、今まで多摩弁を完全な形で残して来た立役者である『戦前に青春時代を送った世代の方々』の減少・旅立ちを間近に迎え、そして『東京の田舎』が益々住宅地として切り開かれて行っている現状を思うと(私が小学生だった頃は、見渡す限り田畑・林・竹林だった祖母の家の周囲も、今は隙間なく住宅で埋め尽くされ続けております。)、どう転がろうと【多勢(道府県民)に無勢(東京土着民)】で、残念ながら現在の“首都”東京の状況下で『江戸弁・多摩弁』を完全な状態で守り、未来へ引き継ぐ土台は無いと言って等しいと思います。せっかく『江戸弁・多摩弁』を操れても、聞き手が受け入れてくれなければ引き継がれる事は無く、『方言を後世に残す』と言う作業の大部分を担っているのは、方言を使っている方では無く、受け入れる側の方です。今、首都東京に集まる人々が東京に求めているのは『共通語』ですよね。また、国内を一日・半日で移動できる現代では、仕事や結婚で“ヒョイ”と東京を離れ他県へ移り住んでしまえば、【郷に入っては郷に従え】で、自分はともかく、その次の子孫達が『江戸弁・多摩弁』を受け継げるかどうかも怪しい所です(たとえ受け継げたとしても、移り住んだ土地の【新しい方言】として取り込まれてしまう可能性が大きいように思います。そうやって、昔から方言は育って来たはずですから)。
高度成長期以降、多くの【故郷の方言を携えた】日本人が国内を東西南北、ごちゃ混ぜに移動しており、これは東京に限らず全道府県で生じている状況かと思いますが、現代の、例えば東京の子供・若者・成人が、「地元でしか使われていない方言です」「祖父母から受け継いだ古い方言です」と紹介は出来たとしても、その【地元でしか使われていない方言】は若者の間で作られ広まった新しい造語である可能性もあり、また【受け継いだ古い方言】の出どころは、戦前生まれの方々が青春時代を過ごした『故郷』の、『他県の方言』であるかもしれないと言う可能性も忘れてはならず、『東京』の『土着民』として代々続いている家系の人(特に東京では、お年寄りに限った方が良い様に思います)で無い限り「東京に古くからある方言です」と公に断言してはいけないと思います(古い方言を真面目に研究しておられる方々の為にも)。終戦を迎え、戦後世代が誕生し、そして全国民が目まぐるしい近代化に向かい始めた時点で、【方言】が長い世代に渡って保たれると言う『閉塞された環境』は、もう無くなっていたのでしょうから。

“首都”であるがゆえに、己の先祖が使い続けてきた完全な形の『江戸弁・多摩弁・八王子弁』が、近い内に消滅してしまうであろう現実は、子孫として、素直に言えば、私はとても寂しいです。しかし、時代が流れるとはそういう物で、学校に【古典の授業がある】と言う現実が何よりもそれを物語っています。彼方の未来、教科書の中に『平安言葉』と並んで、『江戸・多摩言葉』が載る…なんて可能性も無きにしも非ず…。なんて…。ふふふ。私は、嘆きしがみ付くのでは無く、消え去って行く言葉を見守りながら、温かく感謝を込めて見送りたいと思っています。

土着の人であろうと、他県から東京都へ移り住んだ人であろうと、今はどちらも同じ「東京都民」ですから、皆で現代の「東京弁」を作り上げて行く事の方に希望を託した方が、現実的で未来があると私は感じます。その中で、江戸弁・多摩弁・八王子弁の『名残り』だけに限らず、他県出身の方々の古くから伝わる方言の部分部分も、一緒に仲良く『名残り』として使われ引き継がれ、「東京弁」が【日本人みんなの言葉=共通語】として今後も育って行ってくれれば、私はそれが一番だと思っております。(それでも、どうしても『江戸弁・多摩弁』を完璧に残し使い続けたいのであれば、多摩の山奥で自給自足しながら孤立した集落を作り、方言を復活させて頑張れば…何とかなるかもしれません…。難。ヒイ。)

うぃん様とご友人方が、方言を教え教えられ、拒否する事無く素直に喜んで使い合う。とっても良好な学校生活を送られているお姿が伺えます。方言でなくとも、同じ学校・クラスの仲間内でしか通じない造語とかありませんか?内緒で付けた【先生の酷いあだ名】とか〜…へっへっへっ。笑。これって、「方言」と同じだと思うんです。昔から、そうやって人々は同じ言葉を使う事で仲間を欲し、支え合って生きて来た。また逆に、ひとつの単語があちこちの地域で使われ、「○○方言」と地図上で線引きが出来ない曖昧な場合が存在するのは、これも、見ず知らずの土地の旅人の言葉や、戦乱によって侵入した言葉を、こころよく受け入れて来た、平和を愛した民達の歴史を物語っていると感じます。
余談ですが、私が祖母の『八王子弁』を面白おかしく調べ始めてから、母もトラウマが薄れたようで、以前より私の前で“品の無い”八王子弁を口走る率が高くなっております。汗。(あ、でも「だんべ」は使いませんよ。だって母も女の子ですもの。爆笑。)


うぃん様からのメッセージを、祖母は大変喜んでいました。「あによ!またかあよう!まあったく、物好きな子が居るもんだあなあ!」と皮肉を言いながらも、自分が人様のお役に立てている嬉しさで、笑顔がこぼれていました。本当にどうもありがとうございました。
祖母は、甲州街道沿いの街から遥か遠い、見渡す限り山ばかりの集落に生まれ、娯楽が少なく、通り過ぎる人など滅多にいない道を何キロも歩いて学校へ通うと言う学生時代を過ごしながらも、比較的幸せで豊かな子供時代を送った様です。しかしその後は戦争に突入し、「戦争反対!」と叫びたくても叫べない抑圧された国政の中で、一国民として部落仲間の軍服を繕い、戦地へ送り出した同級生や知人を多く亡くしました。そして、戦地からマラリアに罹りながらも無事に八王子へ帰還した祖父と結婚しましたが、嫁入りした先は、土間やカマドが残る古い家屋の農家で、昔の習慣が残っていたゆえ嫁の立場は弱く、電化製品やエンジンで動く農機具など全く無いと言って良い、全て人力を必要とする昔の道具や環境の中で、毎日毎日、力仕事の家事や農作業に明け暮れました。毎年冬時になると祖母が手や顔に酷いあかぎれやしもやけを作っていたのを私は覚えています。祖母は50代後半で夫を亡くし、義父母の介護をほぼ一人でやり遂げ、自分自身が姑の立場になった故に生じた問題を一人で抱え込み、心身をすり減らす日々も送りました。そして治る見込みの無い重い病まで負い、ささやかな息抜きの楽しみだった趣味も続ける事が出来なくなり諦めざるをえませんでした。本当に多くの苦労を重ねて祖母は人生を歩んで来ました。「あの頃は良く、橋の上から飛び降りちまおうかと思った」と語る現在の祖母は、微々たる年金を受け取り贅沢は出来ないものの、自分の血を引く多くの子孫達に守られながら、友人に囲まれ、強く元気に穏やかな生活を送っています。
うぃん様、どうか、今しかできない事、今やりたい事を力の限り、精一杯にやり抜いて毎日を過ごして下さいね。特に、多摩の、多摩の大地で!お友達と大いに遊ぶ事を忘れずに!!!笑。そして、ご自分が東京23区と言う素晴らしい土地に生まれた事を、おじい様、おばあ様、お父様、お母様、そしてご先祖様に感謝なさって、生まれ育った土地も人も大切にして、『杉並弁』を守り使い続けて行って下さいね。

祖母ですら「昔はそんな言葉をおじいさんが良く使ってたなあ」と言う、“ほぼ消えている八王子弁”が沢山あります。世の中が回っている以上、いつの時代も新しい言葉が作られ続け、そして一方で古く必要の無くなった言葉は消えて行きます。それを残さなければならないかどうかは、私が思うに大した事案ではありません。ただ、私は自分のルーツの一端を想い慕い、八王子でご先祖がずっと受け継いで来た言葉が祖母の時代で途切れてしまう事態に気が付いた時、とてつもない寂しさを感じ、そしてとにかく、大切な大好きな祖母の言葉を、個人的な思いで残して置きたいと思いました。また、つねづね、東京にも方言が存在する事を知って貰いたいと思っていた事もあり、資料作りの場所を兼ねてホームページで公開した所、それが、うぃん様や多くの方々のネット検索に引っ掛かり、少しでもお役に立てている事が、本当に嬉しいです。祖母も大いに恥ずかしがりながらも喜んでおります。
またいずれ更新しますので、ぜひ、覗きにいらして下さいね。


そうそう、最後に。
うぃん様は、江戸の古典落語を聴かれますか?江戸っ子の言葉を学ぶには最高の教材なんですが、演目・演者(特に戦中・戦後に活躍された落語家さん)によっては、話の中に多摩弁を使う人物が出て来るんです。ふふふ。大抵、恐らく登場人物は「田舎者」の設定にされていて(涙)、江戸弁を使いながらも「だべ」「だんべ」って一々言うので、多摩弁識者はすぐに気が付きます。笑。


それでは、この度はメッセージをありがとうございました。

 

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