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>2009年12月28日 野島本泰様




(東京都八王子市西部地域の方言)



~祖母(大正生まれ)の話し言葉~
付録









方言について頂いたメッセージ

皆さまのお便りと当方からのお返事を掲載しております。






2009年12月28日(Mon)

野島 本泰 様から
「方言【ようだ】について」のご質問メールを頂きました。


~以下、送受信の遣り取りを纏めて掲載致します~

※はなふさあんにより補足:野島様は言語学を研究なさっておられる先生です。






野島 本泰

神奈川県座間市の方言に
「このパソコンは、一度修理に出すようだな」
と言う表現があるのですが、八王子でも言いませんか?
《修理に出さなきゃな》の意味です。

これ実は、関東と東北とあと島根に分布している方言なんですが、お気づきでしたか。






はなふさ あんに

………。

えっ!!
全国で通じないんですか!?初耳です!ショッ、ショックですっ!こちらでは普通に言いますし、普通に聞きますし、普通に通じます。標準語だと思って使っています。涙。

野島様と私が注視している「ようだ」について、ピンとこない方々の為に御説明致します。
標準語で言う「よう(「みたい」の意味)」とは違う意味の「よう」を私は子供の頃から使っているのです。



上の絵では、左の二人が方言の「よう」を使っています。

ご提示頂いた「修理に出すようだな」に関してですが、私の生活圏で使っている表現では、「修理に出さなきゃな」と言う訳より、「修理に出さなきゃならない状態(=様子)だな」の方が正確です。

「出さなきゃな」と言う意味を表現する時は、そのまま「出さなきゃな」と言います。(「修理に出さなきゃ困るじゃん」等…)
「出さなければならない状態だな」の意味を表現する時に、「出すようだな」と言います。(「困るから修理に出すようだよ」等…)

「~しなければならない様子(状態)だ」の意味で、
a.「宿題を今日中に終わらせておくようなんだ」
  (終わらせておかなければならない状況なんだ)
b.「乾電池の予備が無いから買っておくようだ」
  (買って置かなければならない事態だ)
c.「風が強いから看板をしまっておくようかもね」
  (しまっておかなきゃならない感じかもね)
d.「大きくなったら枝を切るようじゃん」
  (切らなきゃならない面倒な事態になるじゃん)
と、こんな感じで言います。

確かに言われて見れば、「~みたい」「~らしい」の意味の、標準語「~よう」で取るのが通常なんですよね。全然気が付きませんでした不覚でした!
(個人的な意見ですが、標準語の意味で表現する場合、私は「らしい」「みたい」を使う事が多く、「ようだ」は殆ど使わない気がします。)






野島 本泰

次のようなアンケートをしました。

あなたがビックカメラの店員だとします。
窓口に、調子の悪いウォークマンをもってきたお客さんに、
「これですと、一度修理に出すようですね。」ということがあると思いますか。
逆にあなたがお客さんだとして、店員にそのように言われたら違和感を感じますか。

というものです。

日本各地の東京方言話者や、生粋の東京人はみな口を揃えて違和感があるといいます。またひどい場合には「上から目線だ」といいます。はなふさあんにさんも、言うだろうと仮定して話をしますと、これかなり親身になって丁寧に言っているつもりですよね。それがどうも全国区ではまったく通じないどころか、誤解を生む可能性さえあるらしいのです。

>b.「乾電池の予備が無いから買っておくようだ」(買って置かなければならない事態だ)
>d.「大きくなったら枝を切るようじゃん」(切らなきゃならない面倒な事態になるじゃん)

[b], [d] は「よう」自体には推定の意味が入っていませんよね(少なくとも訳では)。僕は、実は「ようだ」は純粋に「必要」あるいは「不可避」を表す言い方で(もちろん八王子や座間の方言で、です)「推定」の意味が入ってくると言うのは標準語の影響ではないかと思っています。

>標準語の意味で表現する場合、
>私は「らしい」「みたい」を使う事が多く、「ようだ」は殆ど使わない気がします。

そうですよね。たとえば「蚊がいるようだよ」なんて言わないですよね。普通は「蚊がいるみたい」とか「蚊がいるらしいな」ですよね。その辺を見ても、いかに八王子や座間の方言で「ようだ」が推定の意味を持っていないかがわかると思います。






~はなふさあんにより補足~
野島様が「ようだ」についての研究をまとめられた【学会発表原稿】を
上のメールと共に頂戴致しました。
以下は、その原稿を拝見させて頂いての返信です。


はなふさ あんに

生活の中で自然と身に付けた苦学無しの言語ゆえか、間抜けにも、野島様のお陰で重要な事を今ごろ思い出しました。

>「受け身の形は来ても不自然ではないらしい」

と原稿にありましたが、ああ、そうです。そうなんですよね。例えば当方では、「~しなければならない状態(様子)」の意味ではなく、
1.「サンダルなんかで山に登ったら転ぶようだよ」(転んでしまう事態だよ)
2.「宿題を忘れたら、また校庭を走らされるようだよ」(走らされてしまう事態だよ)
と、「~してしまう状態(様子)」「~されてしまう状態(様子)」でも「よう」を使うのです。そこで、ひとつ気が付いたのですが、前回ご提示下さった、

>「ようだ」は純粋に「必要」あるいは「不可避」を表す言い方で
>(もちろん八王子や座間の方言で、です)
>「推定」の意味が入ってくると言うのは標準語の影響ではないか…

と言う野島様のお言葉通り、方言の「ようだ(必要・不可避)」と、標準語の「ようだ(推定)」を別物として見て良いのであれば、私が使っている方言の「よう」は、標準語「よう(様)」とは直接関連の無い単語「事態」に言い換えるとしっくり来るような気がします。
「由々しき事態」「不測の事態」「緊急事態」などの、“好ましくない状態”を表す「事態」であれば、「よう」を簡素に説明出来る感じがするのです。つまり、「~しなければならない状態」「~してしまう状態」「~されてしまう状態」と言う長々とした説明は不要で、単に
★「走るようだ」=「走る事態だ」、
★「走ってしまうようだ」=「走ってしまう事態だ」、
★「走らされるようだ」=「走らされる事態だ」
とスッキリ訳せます。
ただし、私の個人的感覚ですので、八王子市民すべてがこの感覚で使っているかどうかは不明です…。

私が日常で口に出して発する「ようだ」は、方言「必要・不可避」の意味の方ばかりで、良く良く考えると、標準語「推定」の意味の方を使うのは、かしこまった時や文章を書く時だけです(標準語を習ったからでしょうか?)。
野島様のおっしゃる様に、“座間や八王子では古くから、必要・不可避の意味を持つ「ようだ」だけを使っていて標準語「ようだ(推定)」は方言の中に無かったのかもしれない”と素直に共感ができます。






野島 本泰

そうですよね。
もし推定の「ようだ」が話し言葉のレベルで自分の方言で存在しているならば、たとえば「蚊がいるみたいだね」というときに「蚊がいるようだね」といえるはずなのですが、僕はよほど気取らない限り「蚊がいるようだね」とは恥ずかしくていえません。
それを考えても、「ようだ」は必要・不可避を表す専用だったと考えていいかもしれませんね。






はなふさ あんに

東京に生まれ東京で成長した私は、自分の使っている言葉すべてが、“方言が無く全国で通じる”標準語(または東京弁)であると、内外から思い込まされて来た感があります。
しかし東京であろうと、どの土地にも、標準語が作られる以前の、先祖達が脈々と使い続けて来た言葉が必ず有る訳で、標準語話者でも必ず、一つや二つの方言を操っていると思って良いのかもしれませんね。
そして、標準語を中心に方言を訳すのでは無く、方言を中心にして標準語を捉える作業も重要なのですね。

野島様のお陰で、とても勉強になりました。「『ようだ』って方言なんだってよ!」と周りの八王子人に教えて驚かせて、今後も末永く楽しませて頂きます。笑。

この度は貴重な情報をお知らせ下さり、誠にありがとうございました。


 






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