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八王子の方言

〜祖母(大正生まれ)の話し言葉〜

 

付録






方言について頂いたメッセージ

うぃん様からのお便りと当方からのお返事を掲載しております。





2011年8月5日(Fri) うぃん

【お久しぶりです。


2月の書き込み以来ですね、前回はご丁寧なお返事、本当にありがとうございました!感動しました!

あの書き込みから今日まで、色々ありましたね…
3月11日の大地震、八王子は大丈夫でしたでしょうか?我が家のある杉並区は、瓦屋根や塀が崩れ落ちたりと、大変でした(我が家自体は大きな被害はありませんでしたが犬が驚いて飛び出してしまいました)。

その後、5月頃にあきる野市にある温泉に車で家族と行きまして、
その帰りに あきる野市〜日の出町〜檜原村〜奥多摩町〜青梅市→新青梅街道で杉並区 というルートで帰ったのですが、奥多摩の山々でも崖の崩落や地割れがたくさんあって、立ち入り禁止のロープが張られている山道も少なくありませんでした。大地震の破壊力とは本当に怖いものです。。

さて、前回のお返事への返信を書こうと思います。

古典落語に関してなのですが、僕は小さい頃から父親にひたすら落語を聴かされて育ってきました(笑)
古今亭 志ん朝 の「百川」こそ、まさに多摩弁が登場する落語だと思います。

先日改めて「百川」を聴きなおしたのですが、完全に多摩方言です。またそれが本当にリアルで…ww
「百川」に登場する多摩弁らしき言葉をしゃべる「百兵衛」は、田舎から江戸に奉公に来たという設定なのですが、少し調べたところ、「百兵衛は青梅出身」という情報がちらほらと…。確かではありませんが、少なくとも志ん朝の「百川」が多摩近辺の方言をしゃべる田舎者をモデルにしているのは間違いないようです。

それと、我が家の家族構成や先祖の話です。

祖母(65)、母(39)、父(43)、妹(9)、自分(15)です。
祖母(母方です)の生まれは静岡県掛川でして、祖母の先祖は西遠州一帯の庄屋「佐野家」と聞いております(今でも静岡西部〜愛知東部にかけては佐野姓が多いですね)。
また、母の祖父(祖母の父、もう亡くなりましたが)は、奥州南部藩士の家系「高橋家」で(東北では高橋姓がかなり多いです)、現在の秋田県鹿角市一帯に代々住んでいたようです。
僕の父方の先祖は、古くは甲斐武田氏の家臣「穴山家」で、その後苗字を変え江戸期には下総関宿藩の藩士になり、幕末は彰義隊に参加していたようです。
ただ、僕の苗字自体は、父親が養子に入ったため、備前岡山の苗字のようで、お墓も岡山県にあります。

と、この通り、あまり東京・多摩に関係のある家系ではないですし、祖母の話口調も発音はむしろ遠州弁風で、単語だけ古い東京弁といった感じです。

ただ、その祖母のもとで育った母親や叔父(現在は石川県に住んでいて小松弁バリバリですがww)は割と多摩弁寄りの東京弁をしゃべる人で、
「あるって」「ひやっこい」などを使います。なぜだろう…。

僕自身は、実は彼女(一個下)が愛知県の豊橋市に住んでいまして、遠距離で付き合い始めてからもうすぐ2年経つのですが、家では標準語(方言風な言葉をしゃべると、口調に厳しい父親が怒るので)、学校などでは多摩弁寄りの東京弁、彼女と話すときは三河弁オンリーです(なにしろ彼女の三河弁がすさまじくて、最初の頃は電話をしながら必死にWikipediaの「三河弁」ページを見て脳内変換していましたが、今では自然と移るどころかたまに使ってしまうくらいです)。

また、僕の周りにはなぜか方言話者がめちゃくちゃ多くて、
神戸の親戚はバリバリの神戸弁、石川に引っ越した叔父はすさまじい小松弁、高校の担任は熊本弁、中3の頃の担任は栃木弁、彼女は三河弁、同級生たちは多摩弁……。

僕はこんな調子なので、自分では意外と他人の方言を客観視できていると思ってはいるのですが、
やはり高校に入ってしばらく経つと、東京都内での言葉の地域差をよく感じます。

前回の書き込みにも書きました「ちゃける=壊れる」はやはり西多摩独自のもののようで、
はるばる青梅や奥多摩から通ってきている同級生たちはよく「ちゃけてんべー」って感じに使うのですが、立川以東の同級生にはまったく通じません。

また、国立に住んでいる同級生の方言もなかなか面白いです。
「崖」を「ハケ」といい、多摩丘陵沿いの交差点を指差して「あすこのハケてるとこの交差点を左」といった使い方をしています。「ゴミ捨て場」という意味ではあまり使ってませんね。
また、彼は「どうして」を「なんだで」、「走る」を「おっぱしる」、「たつ」を「おったつ」と言ったりしていて、詳しくきいた所、国立近辺の若者は割とこれらの方言をよく使うそうです。

砂川町から通っている同級生はよく「かえんべー」「〜だべ」を言います、話を詳しく聞くと、立川近辺の高齢者は多摩弁が濃すぎてたまに何言ってるかわかんないとの事です。

また、多摩方面から通ってきている同級生みんなが口をそろえて言うのは、「「だんべ」は高齢者しか言わない、自分たちは「だべ」を使う」ということです。

それと、これは多摩だけじゃないのですが、多摩地域〜練馬にかけての多くの同級生たちが「〜するよう」を結構使います。
「帰るようじゃん=帰んなきゃいけないじゃん」など。意外とこの言葉が使われてて驚きました。

今回の書き込みではこれくらいの報告です!
またぜひお祖母さまの意見やお話もうかがいたいです。

それでは失礼します。





2011年8月10日(Wed) うぃん

【追記です。


5日から、兵庫県神戸市の親戚宅に来ています。
親戚のみなさん、みんな神戸弁です!(笑)

東京から新幹線で来たのですが、やっぱり現代ってのはすごいもんですね?。
江戸時代では武州多摩から播州明石まで何日もかけて行ったんでしょうけど、今では数時間ですもんね。
名古屋を過ぎたあたりで車内で寝てしまい、気付いたらもう新大阪…w速いですよね。

写真は親戚宅近くの風景です。
このあたりは神戸というよりも明石市に近い場所で(江戸時代には播磨国明石郡に属していて、明石藩領でした)、方言的にも明石方言の影響をかなり受けています。
神戸の中心地からも30km近く離れているので、田園風景が良く残されているのどかな場所です。

こんな風景が多摩地域や杉並などにもあった…と想像すると、面白いですよね。





2011年8月21日(Sun) はなふさ あんに

【ご無事で何よりです!

こちらは「震度5弱」で都心より揺れが小さかったのですが、「あんなに揺れたぁのは、生まれて初めてだあでえ!」と祖母が驚いておりました(関東大震災時、八王子は大して揺れなかったらしいです)。八王子市内で大きな被害は無かった様子で、私は、『富士森公園』と言う所にある『浅間神社』の古い巨大な石碑が崩れ倒れていたのを目撃した…くらいです。ちなみに我が家の猫共は家の2階でのん気にストーブに当たって寝ていました(一階に居た私は急いで階段を駆け上がりストーブを消し2匹を抱えて屋外へ飛び出す!羽目に…)。危。


さてさてそれでは本題の、方言のお話に入りましょう。
お父様の『落語スパルタ教育』を幼少期より受けて来られたとの事で、それではきっと、うぃん様の方が私よりも落語にはお詳しいかもしれませんね(なにせ男共は凝りだすと止まりませんでしょ?フフ…)。主に私は『与太郎噺』がお気に入りなのですが、一番好きなのは「粗忽長屋」です!!落語家さんでは、五代目・古今亭志ん生さんが何より好きで「古典落語は志ん生しか聴かねえよ!」と断言しても良いくらいです。あの愛嬌たっぷりの声に包まれると、嬉しさいっぱいの幸福を感じます…。上方落語では、『創作落語』が素晴らしい桂三枝さんが好きです(今度“文枝”を襲名されますね)。それから若手では『笑点』でおなじみの春風亭昇太さん。あの方は必ず大物になられます…よね…!林家たい平さんと共に以前、八王子へ公演にいらして下さり2度、観に行っちゃいましたよ!たい平さんも大いに笑わせて下さって、大満足でした。きゃきゃきゃっ!!壊。


えー。閑話休題。
うぃん様が上げて下さった「百川」ですが、まさしく『田舎者』が大活躍の落語ですね(登場人物の皆が百兵衛さんの事を「田舎者!」と証言しているので、お墨付きですわ!)。
その、うぃん様が聴かれた古今亭志ん朝さんの「百川」の百兵衛さんは「青梅出身」らしいのですね?
(実は「志ん朝さんの『百川』を聴いてから、うぃん様にお返事をしよう」と決めて、図書館で借りるため予約を入れていたのですが、さすが志ん朝さん、大人気なのか中々順番が回って来ず…結局、今日の今日まで借りられませんでした…。残念。今頃ですが、お返事が遅れた理由をお知らせしておきます…。失礼を致しました。)
落語に関する文献などを調べても、特に「百川」の百兵衛さんの出身地は特定されておらず、また古典落語自体、あらすじは守りながらも落語家さんの個性によって登場人物の設定や挿話が独自に変わったりしますから、落語家さんの数と同じだけ『田舎者の百兵衛さん』の出身地は『青梅』以外にも沢山あるでしょうね。
志ん朝さんのお師匠さんであり、また、お父上でもある志ん生さんの演ずる「百川」では、百兵衛さんは自ら【上総(かずさ)の鹿野山(かのうざん)の下の“でもと村(?)”から来た】と出身地を言っています。鹿野山は現在で言うと『千葉県君津市』にありますので、“でもと村”が何処だかは判りませんが、とにかく百兵衛さんは『千葉県出身』で『千葉弁』を話していると言う事になります。演目の終盤で百兵衛さんが「あに言うだ!」と方言を丸出しにして喋り始めると、確かに多摩弁に似ていて「おっ!」となりましたが、「多摩弁じゃ無いんだよね…」と、何ともガッカリしちゃたわけで…。
もうひとつ、「百川」と言えば六代目三遊亭圓生さんですよね!こちらの百兵衛さんは、出身地を語ってくれなかったのですが、「嬉しかんべ」「断るベえ」「言うけんど」「ちょっくら」「呼ばる」「あんちゅうもん」…と、八王子弁と同じ言葉を使っておりました。が、しかし!一番の特徴として、高い頻度で使われていたのが、「〜でがす。」「〜がすか?」と語尾に「がす」を付ける所でした。調べてみましたら『宮城県の方言』らしいです。

圓生さんは他の演目でも、出身地がどこであろうと【田舎者】は「〜でがす。」と「がす」「がす」「がす」「がす」言っておられる御様子。圓生さん自身は大阪出身で、幼児の頃に東京へ移り住んでおられますが、なぜ【田舎者】を表現する時に『宮城弁』を操られておられたのでしょうね…。志ん生さんも同様、他の演目でも【田舎者】を演じる時は一貫して『千葉弁』を使っている模様です。志ん生さん演ずる古典落語の「ふたなり」では、「蹴るだ」などと『多摩弁』と被る話し方をする『江戸前の漁師さん』達が出てくるのですが、ただ、良く良〜く聴いてみると、どうも祖母の話し方とは微妙にイントネーションが違うんです(先の「百川」も…)。漁師さんなので、もしかすると千葉房総の方言なのか?…なーんて想像をしています。

元々、山梨から千葉にかけて連なっていた“似たり寄ったりな”【方言のグラデーション】の中にあった、田舎の城下町『江戸』を、約四百年前、徳川家の野郎共が『世界一の大都市』に塗り替えちまいやがったもんで、さらに独自の言語(江戸弁)まで育てちまって【方言のグラデーション】のど真ん中に「ドン!」と座り込んじゃった!!
…ってんで、『多摩弁』だけでなく、江戸より東や北の地方へも【江戸弁】は伝わっていて、【江戸弁混じりの方言】は「多摩弁だけでは無い」のですよね。それを落語家さん達は、それぞれに方言を習得し【田舎者】を独自の個性で作り上げ、古典落語に取り入れ育てておられる。方言のグラデーションの中でも、隣接していた多摩と千葉、宮城は、『大江戸八百八町』に分断される以前、共有していた方言が沢山あった(現在もある)でしょうから、とても似ていて聞き分けるのはなかなか難しいかもしれませんね。

ちなみに「百川」と同じく、江戸っ子が相手の方言に惑わされる有名な噺に「金明竹」がありますよね。こちらは「わては中橋の加賀屋、佐吉方から参じました。…」と『上方弁』を喋る『お使い』の方が登場。古典落語に限らず、新作落語でも、噺の中に『地方の人物』を取り入れるには、その『地方の方言』を習得する必要があるわけで、落語家さんとは、表では『楽』を表現していても、裏では本当に大変な修行を求められる『大真面目な芸術家』なのだなぁと、あらためて、つくづく尊敬してしまいました。


…え〜、落語の話はここいらで終わりにしまして…。
うぃん様には、“お武家さん”と“お役人さん”の血が流れていると言う事ですね!わーお!!お母上の家系は、現在の【秋田・鹿角】と【岩手・奥州から、静岡・浜松へ】、そしてお父上の家系は、現在の【山梨・甲府から、千葉・野田へ】、そして現在は東京・杉並へ移り住み、現在に至っておられるのですね。山あり谷あり川ありの道を歩いて移動したご先祖様方には何より関心してしまいますが、それを15歳で詳しく調べちゃった、うぃん様にはもっと感心しきりだってんだい!(さすが男は…。笑。)

私の母方のご先祖様達(祖父方、祖母方、共に)は三百年くらい前に、それぞれの初代が別々の八王子の山奥で暮らしを始め、ずーっと同じ場所の家で子孫を絶やさずに残して来ました。残念ながら当方は、それ以前の先代の事は知りません…。

祖母方は、八王子内ではちょいと名の知れた裕福な家だったそうで(過去形!)、あんな喋り方でも祖母は『お嬢様』だったんですよ(ただし『山奥の!』『山奥の!!』『山奥のー!!!』ですので、そのあたり十分ご考慮ください!)。兄姉が沢山いて皆に大いに可愛がられ甘やかされた所為か、祖母の『お嬢様っぷり』は現在でも容赦無く発揮されております。TVなどに出演されている現代の『大金持ちのお嬢様』タレントさん同様、祖母は【全く悪意無く】思った事をみーんな口に出してしまう為、周囲との下らないトラブルが絶えません(でも祖母は「?」と困惑していますけどね!笑!)。そして物凄くグルメです。「みんなは うめえ うめえ言うけんど、あの店の寿司は大して旨かねえや!」「あの人が くれたあ 菓子は ありゃ旨かったな!」(そう言う時は大抵、祖母が知るはずの無い、都心で流行っている菓子だったりして…。【祖母の恐るべき味覚】には、母と共に毎度怯えております…。汗。)と、子供時分から鍛えた舌で、祖母は日々暇があれば『旨い物』を夢に描き、生きております!もし、祖母に手土産を下さる様な事がありましたら、どうぞ十二分にお気を使って下さいまし!祖母の口に合わなかった日にゃあ、「こないだの人が持って来たあ 菓子は あんだか分からねえもんが入ってて、気持ち悪りいから人にくれちまったよ!」とか、あちこちで祖母は口を滑らせ言い回りますから!!きょー!!!(…そんな『裏表の無い』祖母が、私は、私は、私は大好き何ですけれどもね…。汗。)

それから祖父方は、代々の『水呑百姓』(百姓の中でも最も下の位で「水しか飲めない程に貧しい」事を表した差別用語です)だったのか、家系図すら作っていなかったようで、お寺さんにあった『過去帳』は戦争の空襲でお寺ごと焼けてしまい(お墓に入った人の名前が記された物です。つまり、血が繋がっていてもお嫁や養子に出てしまった方の名は無く、直系と嫁・入婿などのご先祖の名しか記載されておりません)、つまり初代からの詳細は判りません(役所に行って必死こいて調べれば分かるかもしれませんが)。ただ、お寺さんにあるお墓よりも、古い時代のお墓が、所有地の山の中にありまして、風化して、刻まれた文字が薄っすら何とか読めるくらいの墓石や、ただの石(直径30cmくらいの川で拾って来たような)の墓石まで、数基あります。家系図が無いと言うのは私にとって正直、マジ超ガッカリなのですが、そのかわりに、山の中にひっそりと残る『歴史を語る墓石』が、私にはとっても大切な物になっています。
そのお墓をいずれ守って行く、未来の当主、15代目は現在「夏休み中」で元気に遊び回っておりますよ!


さてさて、追伸まで頂きまして、ありがとうございました。
兵庫と言う事は、岡山のお隣ですから、お父様のご親戚を訪ねて『帰省』をされた…のでしょうか?私は兵庫に行った事は無いのですが(と言うかインドア派なので兵庫に限らず全国ほぼ未到達です!いばるな!)兵庫と言うと以前、ネットで知り合った愛しいお嬢さんの事を思い出します。とても繊細な子で、素晴らしい詩を創る学生さんでした…。今はどうしているのか…。
新幹線でも、やはり遠いですか?私は『帰省ラッシュ』とは無縁の人生を送って来ましたので(父の実家は神奈川県でっ!親戚はみんな近所か都心に住んでるし!)その大変さが分からず(交通費とか…)。もし、自分が結婚して、相手方の実家が遥か彼方、遠ければ、『帰省ラッシュ組』に私も入れるのでしょうね…。入った方が良いですか?!それとも止めといた方が良いですか?!(高校生にオバサンが何を相談しておる。)


多摩川(八王子では「浅川」になりますが)などを眺めていると、「あのマンションがなかったら」「あの電柱がなかったら」と昔の木々に覆われた大地を想像して、私は胸が熱くなります。
私が子供の頃、我が家の目の前には麦畑があり、100m先のお友達の家が見えました。そして左には畑があり、その向こうには栗林が続き、二階のベランダからは1km程離れた小学校の屋上が見えました。しかし現在は周囲に隙間なく住宅が建ち、みーんな見えなくなりました。
また、八王子は山に囲まれているのですが、さすがに住宅街に入ってしまうと見えません。昔は何処に居ても山々が望めたであろう八王子の土地は、どんなであっただろうかと想像すると何とも恋しいです。姉も言うのですが私は、出かけ先からの帰り道で家に近付いて来て「山が見えて来るとホッとする」んですよ。(平地が続いていて山が遠くに望める土地に居ると何と無く落ち着きません。ソワソワ。)


そうそう、先日、面白い事に気づいて、ワクワクしちゃった話をしましょう!
私は「手作り市」と言う物に時々出展しているのですが、今春、市の会場『西日暮里の諏方神社』まで、自分でテクテク歩いた急な坂道を…、歌川広重の絵の中に見つけたんです!!題名は、『名所江戸百景』に収められた「日暮里寺院の林泉」です(右上の画像をクリックしてください。拡大します)。現在の『西日暮里駅』の高架下を西に出てすぐ左へ曲がる細い道が、恐らく広重の絵に描かれている細い坂道と同じだと思うのです(つまり、手前の広場が現在の車が走る大通りになると言う事かしら…?と、、、)。よろしければ、Googleマップのストリートビューで辿って、比べてみて下さい〜。
広重の“人物・動物の描写”が私は物凄く好きで、『名所江戸百景』の画集を持っていたゆえ偶然に発見しました。画集が無くても、ネット検索すれば広重の絵はある程度は観れますので、うぃん様も、興味のある東京の土地を「広重」で検索してみて下さい。西洋画のように写実的ではありませんが、江戸時代の風景を想像する手助けをしてくれると思います。ぜひぜひ〜。


ではでは、長々と失礼致しました。
この度はメッセージをどうもありがとうございました。

 

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