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ホームへ皆様との対話トップへ>2011年6月23日・くぽ様

皆様との対話 ~掲示板にて皆様から頂いたコメントと、当方の返信~

くぽ様からのお便りと当方からのお返事を掲載しております。



2011年6月23日(Thu) くぽ URL

はじめまして

ヤフオクで猫のステッカー を制作されてる方のページから、こちらにたどり着きました。とても奇麗な絵のタッチで、大変気に入りました。ウチの愛猫二匹の肖像画をオーダーしたいと思いました!

私は福島県福島市に住んでおります。ただいま風評被害真っ盛りです。それよりもやはり、立ち入り禁止区域に住む家畜やペット達をどうにかしたいのですがなかなか難しい問題で、獣医師のボ ランティアの方がファームサンクチュアリという、家畜を研究目的で生かすという牧場を作る事に尽力されております。私も何かやらなきゃと思いヤフオクで全額チャリティーしたり、自分でも 地元の新聞社に義援金を送ったりとやれる事思いつく事全て実行しています。

こんなやさしい絵を描くかたは心も優しい方と思います。いつかウチの猫の肖像が、オーダーしますのでその時は宜しくお願い致します。
チナミにURLはウチの猫ブログです。お暇な時に覗いてみてください。コメントなんか入れてくださったらかなり嬉しいです(笑)





2011年7月6日(Wed) はなふさあんに

こちらこそ、 はじめまして

くぽ様こんにちは。サーフィンをされていたら偶然に私を発見して下さったのですね。大海の小島で旗を振り続けていた甲斐があ りました…。涙。(旗って何だ、旗って!)
あらためまして、くぽ様、いらっしゃいませ!

福島市にお住まいなのですね。避難区域外とは言え、尋常でない不安を抱えながら、御苦労の多い毎日を送られておられるであろう事、私はいつも頭に留め己を律しております。「被災地の方の 苦労を考えれば、こんなこと何でも無い!」と。まだまだ、完全に復興するまでは、心を痛め、悔しい思いをし、無力さに立ちつくす日々が続くと思います。それは、程度に大きな大きな差はあ れ、被災者では無い私も、同じ心でいる事をお伝えしておきます。

さて、この掲示板の下へ下へ、ズーっと、ズズーっとご覧頂けますと、以前にメッセージを下さった皆さまへの『私の返事の傾向』をご覧頂けます。この掲示板では既に恒例となりつつある「制 度」に今回も引っ掛かってしまいました。くぽ様へのお返事の続きは他のページにズラズラ書かせて頂きましたので、上の【URL】をクリックして、『掲示板サブ』を開いて下さい。お手数お かけします。それでは、宜しくお願い致します。




=以下『掲示板サブ』から転載=


2011年7月6日(Wed) はなふさあんに

くぽ様へ

『ファーム・サンクチュアリ』、くぽ様のメッセージで、始めて存在を知りました。

私の母の実家は1980年代頃まで代々農業をしておりましたので、当時は家の敷地内に、牛、豚、鶏、を飼っていたと聞いております。(すでに私は生まれておりましたが、その家畜達と触れ合った記憶は残っておりません。)

また、私が中学生時代には登下校の通学路に、数頭の牛を飼っておられた農家さんがあり、時々、道路(ガードレールも、ちゃんとした柵も無い…)の間近に牛が繋がれ放置されていて、それに出くわした時には、嬉しさ半分ビビリ半分、遠巻きに興味津々でジロジロと見て、手を振ってみたり、「べ~」「べ~え」「べ~」「べ~え」言う牛に「うるさい!」と叱ってみたりしたものでした。「牛フンが臭い臭い」と、友人と笑いながら小走りに逃げた記憶も残っております。

しかし、私の様な『生活地域に家畜がいた』経験がある田舎者でも、家畜を飼う『農業』『畜産業』『酪農業』と言う物に直接従事したことが無く、『深く』関わらずに暮らして来たサラリーマン家庭の人間ですと、「飼っていた」と聞くと、つい「じゃあ、牛に名前を付けてたんでしょ?」と、のん気に聞いてしまったりします。そして、その質問を受けた母も祖母も「そんなもの付けやしないよ」と、あっさりと答えるのでした。

愛情が全く無かった訳では無いでしょうが、元来、愛玩動物(ペット)として飼っていたのでは無く、目的は家族が生きて行く為、食べて行く為に、牛は農作業で働かせ、時には豚と共に食用として売られ、鶏は産ませた卵を売る為に、そして最終的には自宅で、【子供たちの目の前】で羽をむしり取り、食卓へ上げた。

ずっと昔から、日本でもつい最近まで、『家畜と人間』の間には、しっかりと境界線を引かなければならない、引かざるを得ない、そんな環境があったんですよね。食べる事・生きる事が容易では無かった、『家畜に愛情を注ぐ余裕』など無かった、そんな時代があったんですよね。

高度成長期に入るまでは、卵は貴重品で滅多に食べられなかった。これは、ご年配の方々から良く耳にする話です。私の母も、家に鶏がいたにもかかわらず、とれる卵は数が少なく『貴重品』として高く売れた為、家で消費する分として残る事など殆ど無く、就職してお金を稼ぐようになってから自分で『お店』で卵を買い、やっと満足に食べられるようになったそうです。(お笑い芸人・濱口優さんとニワトリ【しゃくれ】ちゃんの生活が、『貴重品』の意味を容易に教えて下さっていますね。)

しかし現在は、スーパーに毎日毎日、『大量』に並ぶ『安価』な、卵、牛乳、肉、魚…。その裏には、人間の口に入る為だけに『人工繁殖で容易に大量生産され』、人間の事務的なラインの支配下に置かれて一生を過ごす、鶏、牛、豚、養殖魚などの存在があります。

誤解の無いように先に申しておきますが、商売に使うとは言え、家畜達に愛情をかけ大変な苦労をし世話をし育てて来たであろう農家や畜産業の方々の、今回の悲しみや怒りや「助けて欲しい!」と言う懇願は当然の事で、決して彼らを批判しているのではありません。

問題なのは、生き物を食べる為に『人工的に食用動物を大量に誕生させ殺す』と言う【残虐な作業】を【一部の人々に押し付け】、知らぬ存ぜぬで、何も考えず気にも止めず、『肉や魚を食べる事』を欲に任せ求め続けて来た私達、消費者の方です。「賞味期限が切れたから」「もうお腹がいっぱいだから」、そう言って、私達は直接的にでも間接的にでも、どれだけの彼らを、【ゴミ箱】へ、捨てて来たのか。

家畜の『人工繁殖』が生まれた根源も、全ては『原発』と同じです。便利さ、迅速さ、豊かさ、それを人々が求めた結果、手間や時間のかかる【手作業】や【自然に任せる】生活を放棄し、発展した【科学・工学】の力に『生活を生み出す事』を委ねてしまった。そして今回のように【科学・工学】が人間のコントロールから外れ狂った時、『科学・工学に人間が支配され操られる』と言う領域にまで足を踏み込んでしまっていた。「納豆が無い!」「ガソリンが無い!」から始まり、「放射能を止められない!」に至るまで、一貫して根底に有った問題はその1点です。もし、警戒区域に残ってしまった家畜達が自然繁殖で生まれた希少な頭数だったならば、津波の後、避難命令が出た後、迅速に一頭残らず救えたかもしれない。しかし現実に残されたのは、迅速に助けるには手に負えるはずも無い、『容易に人工繁殖』された膨大な頭数だった。

腐敗する死体や、餓死寸前の豚や牛たちを目の前にして、涙を流し、心を痛め、自責の念にかられ苦しむ。それは、家畜達から与えられた、私達人間への『罰』なのかもしれません。「苦しみなさい、あなたたち人間は、それだけの罪を私達に犯して来たのだから。」と。そして、涙を流してくれた人間達に、現在・未来へ向けての、家畜達の生命に対する関心を、「今一度、人間の生活の中に取り戻す事を求めている」と、私は思いたいです。

学校での『家畜の授業』などは何より有益でしょう。親たちが「子供には残酷過ぎる授業だ」とクレームをつけたとしても、世の中には『優しさ』と共に必ず『残酷さ』が存在する事を教えない方が、生きる上ではよっぽど危険であり、その親達よりも、その子供達は必ず、『食べ物だけで無く、【生命とは何か】【生きるとは何か】、全ての物事に対して、深く考える』、心の強い人間となって、自らの人生を送る事ができるかもしれません。親達が、共に授業を受けられるのであれば、それは更に有益なものとなるでしょう。

この地球上の弱肉強食の中で人間は、人間の支配する場所で最上位を得、動物達を『食べる』以外にも、『医薬品や化粧品の検体』に使い、『動物園・水族館・サファリパーク等の見せ物』にし『芸を仕込み』、『賭け事の対象』にするなど、多くの【商売道具】として扱って来ました。動物病院、ペットショップ等の『ペット業界』も、その中に入ります。私も、犬や猫を商売道具に使っていると言っても過言ではありません。

今更、とは言いません。しかし遥か昔から、『人間が動物達を支配する』関係が、生物学上、当たり前で健全な事なのであるのならば、彼らは確かに、犬や猫と同じ【動物】ではありますが、ペットショップで売られている動物達のように【愛玩動物】として人間から【家族】として迎え入れられない以上、根底は何も変わらず、彼らはどこへ行こうと【家畜】の立場から抜け出す事は出来ません。


何が幸せかどうかは、警戒区域に残された動物達に聞いてみなければわかりません。


『ファーム・サンクチュアリ』について、私はまだ良く理解出来ておりませんので、今は肯定も否定もできません。

しかし、警戒区域の中で、たくましく元気に、生き残っている家畜達もいると耳にしております。彼らに関しては、もし、飼い主なり、同業者なり、NPOなどの団体なり、大学なり、大企業なり、個人の資産家なり、今後も共に生きる事を望んでいる力強い人物が存在し、『彼らの被ばく』を含め、『困窮を期している国の財源』や『牧地・人員的』にも、【国民に負荷の無い】範囲の、万全な解決策があるのであれば、それを推し進めるに越したことは無いと思います。

ただ、「一刻も早く彼らの命を助けて欲しい」「動物が可哀相だ」「原発を作った私達の責任だ」と、【自身の心の痛み】を抑えきれずに、政府を批判するだけして、ただ署名に参加するだけような人々には、何とも、賛同できない部分が私にはあります。その人々の中に、次のどれか一つでも良い、

『警察に捕まるのを覚悟で警備を振り切り』
『放射能舞う中へ飛び込み彼らを助け出し』
『彼らの住み家を提供し』
『家畜としての価値を失った彼らを引き取り』
『彼らのために長期的に財産を切り崩し、または財源を集め』
『大変な労力を伴う、彼らの世話をし』
『体内被ばくしたが故に彼らが苦しみ出した時には治療をし』
『最期まで、彼らの一生を見守り看取る』、

その行動を起こせる【尊い志】を持つ人々はどれくらいいるのか。昨日も今日も明日も肉を食べ、今の今まで彼らを支配し彼らの自由を奪って来た人間の、結局その訴えや署名が、単なる【生き物の死に対し目をそらし続けて来たが故の無知】が原因で生まれた『自責の念からの逃避』でしか無く、国政へ責任を押し付けるだけの、『他人任せ』の弱いものであるならば、いずれは『政府の選択』が、『多くの国民の無言の同意』の後押しを得て、最後まで、推し進められて行ってしまうでしょう。

そんなに「家畜が可哀相」だと言うのなら、なぜ、過去、何度と繰り返されてきた【口蹄疫】【鳥インフルエンザ】などの『伝染病による家畜の大量殺処分』に対し、畜産業の方々の痛みを思い、『殺処分回避』に向けて、なぜ、誰も動かなかったのか。それは誰しもが【家畜よりも我が身が大事】だったからです。今、日本や世界中で誰かが叫んでいるであろう、「どんな命も大切だ!殺すなんて身勝手だ!」と叫べるような、その時はそんな、綺麗事を言っていられる場合では無かったはずです。今回は『伝染病』とは違い、被ばくした家畜達は除染すれば人間に悪影響を及ぼす事はありません。しかし何故、国が『原子力災害対策特別措置法(平成11年法律第156号)第20条第3項』などと言うものを持ち出して、『殺処分』を推し進めるのか、それは単純に推測すれば恐らく、『国の財源がひっ迫しているから』です。被災地から「人間を助けてくれ」と膨大な要請が来る。国の財源はどんどん減って行く。それは『国家の危機』であり『国民の危機』でもある。犬や猫とは比較にならない程に、家畜を『飼う』と言う事は大変な労働と費用がかかる、それは誰もが承知の現実です。しかも体内被曝してしまった彼らはもう、金銭的にマイナスを産むだけになってしまっており、その負担はいずれ廻りめぐって国民へ圧し掛かってくる。【家畜よりも貧乏な国民の身が大事】と政府・官僚が判断し動いているのであれば、それは必ずしも間違っているとは言えません。国民を守る為の『家畜の大量殺処分』は【国家の恒例】であり、今になって『殺処分』を非難されても…と言う思いが、国にもあるかもしれません。
と言いながらも、私は決して、国を擁護している訳では決してありません。決して。政治家や官僚・公務員の厚遇をいい加減に止め、生活を庶民レベルに下げ、無意味で必要の無い公的機関を潔く廃止し、「国を、国民を守ります!」と繰り返し繰り返し選挙カーの上で叫んだ政治家達や、『公僕』として国民に奉仕する事を誓って入省した官僚達や、元公務員の天下りが、【国民から徴収した税金である給料】を一切受け取らずに、何の苦労も無しに名家の先祖から受け継いだ『有り余るほどの潤沢な資産』があるのなら全てを寄付し、料亭になど行かず牛丼でもテイクアウトして会議室を利用し、あつらえた高価なスーツなど脱ぎ捨て、ピカピカの高級車など売り払い、作業着なりジャージでも着て、被災者と共に復興へと進む覚悟をすれば、『被ばくした家畜達を救い、最期まで世話をする費用』ぐらいは簡単に出て来るのではないのかと思っています。


色々と語った後に反する様な事を言いますが、恐らく、いえ現実的に、『脅威な自然』を身の程知らずにも操る事を覚えてしまった私達人間が、今後、豊かさを与えてくれる『科学・工学』を「愚かだ」と認識しながらも、あっさりと手放す事は無く、昔の牧歌的な人間へ、生活へ、戻ると言う事は到底無理な話で有り得ないでしょう。その先が『未来都市』であれ『地球の滅亡』であろうとも。

ただし、今回の災害によって私達は、重大な事柄に始めて目を向ける事が出来たのは確かです。自分達が豊かに生活していられる『理由』と、その『あまりにもな軟弱さ』を思い知った。二度と、今回のような最悪な事態を避ける為にも、私達は反省し、学び直し、記録し、未来へ残さなければいけない。そして『科学・工学』にも、明るい未来と更なる安全性を求めて希望を託し、過信すること無く彼らから目を離さずに監視し、後押しをし続けて行く事を、いつまでも忘れずにいるよう努力すべきでしょう。

恐らく、『ファーム・サンクチュアリ』設立の意義も、重要なその一つなのかもしれません。

『忘れてしまう事』、これが何よりの、危険へ向かう、第一歩です。


動物達を愛する事、動物達と仲良くする事、これは温かい『人間の誇れる習性』です。しかし全ての人間が、動物達に対して、その感情を生まれながらに持っている訳ではありません。ご存じの通り、毎年毎年、日本では20万頭をも超える犬猫たちが殺処分され、その中には、飼い主自身の、その手で、保健所へ持ち込まれると言う非情な現実があります。同じ仲間である『人間』をも殺す『人間』もいる、そんな地球上の動物界の中で、「ペットを助ける余力があるなら、もっと人間を助けろ」と言う意見があって当然であり、それは決して『動物達に冷たい』のでは無く、『自分や家族や友人の身を守る』と言う、正常な人間としての生命の本能が働いているだけです。畜産業の方には酷な話ですが、「牛は食べ物。食べれないなら処分して。」とあっさり割り切れる人間が多少なりともいる事が現実です。生活の中に、いつも身近に牛がいないと、触れ合っていないと、愛情を覚える事が出来ませんし、また、自ら「処分=殺す」訳では無いので、処分を担当する獣医師の方々や、家族である畜産業の方々の心の内にまで、全く気が回らないのです。

動物を「物」と同じ様にしか見れない人々がいる一方で、逆に、我が身をすり減らし、動物を守ろうとする人もいますが、それは一見、美徳のようにも感じる一方で、そうしてすり減った、我が子なり、親なり、友人なりを見たら、動物を愛する人々でも恐らく、「私達は動物よりも、あなたの方が大切です」と泣きつくでしょう。

動物が大好きで、大好きで、大好きで、獣医師になった。それなのに、まだしっかりと生きている、生きて行ける動物達を、『安楽死』へと送り出さなければならない。今、警戒区域内で動いている、そんな『獣医師』さん達の『辛さと流した涙と心の傷』と、そして『国民(あなた)の代わりに安楽死を執行している』事を、もっと前面に出し強く訴えた方が、もしかすると「牛が可哀相」と嘆くよりも、ずっと、この『悲劇』を人々は容易に我が身にすり替え共感し、『ファーム・サンクチュアリ』構想にも関心を向けてくれるかもしれません。ただし、人々の『獣医師』と言う職業に対するとらえ方にも色々あり、「それが獣医師の仕事だろ」と、逆に非難を増殖させてしまう可能性も有り得ます。難しい、難しい、本当に難しいです。

結局は、人それぞれに微妙に違う価値観があり、それには真っ当な理由もあり、人々を説得し心変わりをさせるには相当の【努力】と【人々を操る能力】が必要です。

心の底から望むのであれば、今、正に『ファームサンクチュアリ』設立に向けて直走っている、力のある獣医師のもとへ駆け付け、大きな集団になって共に力を尽くし頭を使い急いで動き回らなければ、一刻を争う中で生き延びている家畜達は、一時間、一分、一秒と、時が過ぎる度に死へ向かい、数を減らし、『ファーム・サンクチュアリ』設立への、せっかくの尽力も全て水の泡となってしまいます。

国を説得するよりも、先に上げた『原子力災害対策特別措置法(平成11年法律第156号)第20条第3項』を盾にした『安楽死執行』に関し、法的矛盾を付きつけてくれるような、共に戦ってくれる有能な法律家や科学者を探し、協力を仰ぎ巻き込んで、国の羽交い締めから逃れる事の方が先決の様な気がします。国にこの案件から手を引かせ、『民間の自由』として動ける体制が整えば、後は、『設立』へ向けて一直線なのでしょうから。


人間が占拠する『福島』と名付けられた土地に生まれ、放射能舞う中に取り残された動物達が、今まで同様に人間の勝手な手の内で、今後どう扱われるのか、私は目を離さずに直視し見守り、一生忘れぬよう記憶に留めます。それが、遠く離れた場所にいる非力な私に出来る、福島の家畜達への、償いと、思いやりと、心からの感謝です。


人間の支配下から解き放たれ自由を得た。警戒区域の中で、または天国で。

喜びに満ちあふれ、嬉しさで大空を仰ぎ、謳歌し走り回っている動物達も、いるかもしれません。


あの土地に、人々が戻れる日は、絶望的に遠いでしょう。だから、もう少し、落ち着いたらでいいです、どこか、あの土地に近い、安全な福島の土地に、草原があれば草原に、彼らのための立派なお墓と、大きな石碑を建てましょう。

お墓には、亡くなった頭数を刻み、
石碑には、どんな残酷な悲劇があったのかを刻み、
「ごめんなさい」と、
「今までずっと、本当にありがとう」と、刻みましょう。

全国の人々が、福島へ足を運んで、手を合わせに行ける、石碑を建てましょう。
きっと、全国の人々が、心からの祈りを捧げてくれるでしょう。


福島県民の皆さんが、まずは何より、安全な生活を取り戻され、風評被害を無くし、福島の恵みを復活させ、経済を立て直し、早く落ち着いた生活へ戻れるように、心から強く望んでいます。そのためにも、微力ながらも私に出来うるサポートを探し、努力する事をお約束致します。

そして、くぽ様が、共に暮らす猫ちゃん達と共に、心の底から楽しく笑い合い、遊べる日々が、一日も早く戻って来ますように、願っています。

ジッとしていれば、毛並みサラッサラの美男猫なのに、
『愉快な猫魂』全開のポコちゃんと、
高貴なお姫様なのに、
恥じらう事無く『モフモフなお腹は見せちゃう』メイちゃんに、
どうぞ、よろしくお伝え下さいね。


それでは、この度はメッセージをありがとうございました。
ん~!まずは、福島県産の物!探して探して、私、買って来ますですよ!





はなふさ あんに より

その後

非営利一般社団法人「希望の牧場・ふくしま」が設立されております。
「希望の牧場・ふくしま」の活動を、当方で肯定・否定する意図は一切御座いません。経過を見守って行く、と言う目的で、ご紹介させて頂きます。




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