★2009年11月23日(Mon) はなふさあんに |
【こちらこそ、はじめまして。】
名もなき画家さま、こんにちは。
「ガブリエル・バーン ファンサイト」からいらして下さったのですね。
ふと繋がった巡りあわせが嬉しいです。
このところ日本では、バーン様の御活躍を確認出来ず寂しいですね…。
ファン同士、盛り上がろうにも盛り上がれずな所でしょうか。
バーン様出演の作品が新たに日本に上陸する事を切に願うばかりです。
名もなき画家さまも、絵を描かれるのですね。絵を勉強なさっておられる方に、私の絵を気に入って頂けた事は、とても光栄に思います。どうもありがとうございます。
デッサンの狂った絵を未だに多く描いてしまう私ですが、あまり気にしないようにしております…。
※美術用語に馴染みの無い方の為に補足致します。【デッサン力】→立体を平面(画用紙など)に立体的に再現し描き写す能力。
デッサンは絵画の基礎ですので、絵描きで有る以上、究めるべき技だとは思いますが、「デッサンが完璧である」だけでは、ある意味【証明写真】のような“技術”を表現しているだけであって、たとえ観る人を関心させたり感動させたとしても、それは、『絵画』が持つ限りない可能性を十二分に発揮していないと感じます。
同じ石膏像をデッサンしていても、描く人によって筆圧や筆運びが全く違い、石膏デッサンにはそれぞれ個性が出ますね。
誰もが、人物や動物を描くと何故か自分に似てしまうと言う事があります。
同じ人物が、晴れ晴れとした気分の時と重々しい気分の時に描いた絵は微妙に雰囲気が違います。
極端ですが、絵描きの部屋が片付いているかいないかを、絵を観ただけで何となく想像出来ると言う人もいます。
絵には、描き手の外見から内面まで、
隠そうとしても出てしまう物なんですね。
返して言えば、『自身に無い物は描けない』訳で、
理想としている作品を目指し筆を重ねても、何時まで経っても辿り着けない
事例が多分にあるのはその所為なのでしょう。
鑑賞者が絵を見つめて、何か惹かれるものが有る時、
それはデッサンの力では無く、
画家の雰囲気や思想による力だと思っています。
例えれば、
【気の合うお友達を見つけた】状態に近いのではないのでしょうか。
世界中の人々が、ピカソやシャガールに惹かれるのは、そんな所からなのだと思います。
もちろん、「3次元の物を2次元に描き写す」というデッサン力にのみ感嘆し、抽象画などの現代アートについて価値を見出せないでいる人々が居る事は承知しております。
【気が合うか合わないか】の問題なので、その考えを否定もしません。
ただ、『機械が2次元を描き出す“コピー”』と、
『心のある人間が2次元を描き出す“絵画”』との違いは明らかで、
「完璧なデッサンの中にも抽象的な要素が含まれている」事に御目を傾けて頂ければいいな…と思ったり…。
すみません。深く話し過ぎて来ました。放って置かれると話が止まりません。脱線する前に自重します。はい。
私はいつも、デッサン以上に構図を重要視しております。
意思疎通に流暢な語学が役立つ様に、
訴えたい事を絵画に乗せてスムーズに鑑賞者に伝える為には、
構図を操る技術を極めるべきだと感じています。
名もなき画家さまは、学生さんでしょうか?
自分の才能に自信を持つ事は大切だと思います。
どしどし自惚れて下さい。フフフ。
私は、その自惚れの力を借りられたからこそ、色々な事に臆せず挑戦し、描き続けていられる今があるのだと思っております。
名もなき画家さまが描く絵は、名もなき画家さまにしか描けません。
自分の独自の力を否定せず、鑑賞者に向かって正直に、誠意を持って表現すれば、必ず支えて下さる方々に恵まれると思います。
同じ時代を生きる絵描き同士、“お互い”頑張りましょうね!
それではこの辺で。
絵画について語る事が出来てとても有意義でした。
(勝手にベラベラ喋ってしまいました。ごめんなさい。汗。)
この度はメッセージをどうもありがとうございました。 |
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