Copyright © はなふさ あんに(花種 案庭)

ホームへ皆様との対話トップへ>2009年11月19日・名もなき画家様


皆様との対話 ~掲示板にて皆様から頂いたコメントと、当方の返信~




2009年11月19日(Thu) 名もなき画家


(投稿者により削除されました)







2009年11月23日(Mon) はなふさあんに

【こちらこそ、はじめまして。】

名もなき画家さま、こんにちは。
「ガブリエル・バーン ファンサイト」からいらして下さったのですね。
ふと繋がった巡りあわせが嬉しいです。

このところ日本では、バーン様の御活躍を確認出来ず寂しいですね…。
ファン同士、盛り上がろうにも盛り上がれずな所でしょうか。
バーン様出演の作品が新たに日本に上陸する事を切に願うばかりです。


名もなき画家さまも、絵を描かれるのですね。絵を勉強なさっておられる方に、私の絵を気に入って頂けた事は、とても光栄に思います。どうもありがとうございます。

デッサンの狂った絵を未だに多く描いてしまう私ですが、あまり気にしないようにしております…。

※美術用語に馴染みの無い方の為に補足致します。【デッサン力】→立体を平面(画用紙など)に立体的に再現し描き写す能力。

デッサンは絵画の基礎ですので、絵描きで有る以上、究めるべき技だとは思いますが、「デッサンが完璧である」だけでは、ある意味【証明写真】のような“技術”を表現しているだけであって、たとえ観る人を関心させたり感動させたとしても、それは、『絵画』が持つ限りない可能性を十二分に発揮していないと感じます。


同じ石膏像をデッサンしていても、描く人によって筆圧や筆運びが全く違い、石膏デッサンにはそれぞれ個性が出ますね。

誰もが、人物や動物を描くと何故か自分に似てしまうと言う事があります。

同じ人物が、晴れ晴れとした気分の時と重々しい気分の時に描いた絵は微妙に雰囲気が違います。

極端ですが、絵描きの部屋が片付いているかいないかを、絵を観ただけで何となく想像出来ると言う人もいます。


絵には、描き手の外見から内面まで、
隠そうとしても出てしまう物なんですね。
返して言えば、『自身に無い物は描けない』訳で、
理想としている作品を目指し筆を重ねても、何時まで経っても辿り着けない
事例が多分にあるのはその所為なのでしょう。


鑑賞者が絵を見つめて、何か惹かれるものが有る時、
それはデッサンの力では無く、
画家の雰囲気や思想による力だと思っています。
例えれば、
【気の合うお友達を見つけた】状態に近いのではないのでしょうか。

世界中の人々が、ピカソやシャガールに惹かれるのは、そんな所からなのだと思います。

もちろん、「3次元の物を2次元に描き写す」というデッサン力にのみ感嘆し、抽象画などの現代アートについて価値を見出せないでいる人々が居る事は承知しております。
【気が合うか合わないか】の問題なので、その考えを否定もしません。
ただ、『機械が2次元を描き出す“コピー”』と、
『心のある人間が2次元を描き出す“絵画”』との違いは明らかで、
「完璧なデッサンの中にも抽象的な要素が含まれている」事に御目を傾けて頂ければいいな…と思ったり…。
すみません。深く話し過ぎて来ました。放って置かれると話が止まりません。脱線する前に自重します。はい。


私はいつも、デッサン以上に構図を重要視しております。
意思疎通に流暢な語学が役立つ様に、
訴えたい事を絵画に乗せてスムーズに鑑賞者に伝える為には、
構図を操る技術を極めるべきだと感じています。


名もなき画家さまは、学生さんでしょうか?
自分の才能に自信を持つ事は大切だと思います。
どしどし自惚れて下さい。フフフ。
私は、その自惚れの力を借りられたからこそ、色々な事に臆せず挑戦し、描き続けていられる今があるのだと思っております。

名もなき画家さまが描く絵は、名もなき画家さまにしか描けません。
自分の独自の力を否定せず、鑑賞者に向かって正直に、誠意を持って表現すれば、必ず支えて下さる方々に恵まれると思います。

同じ時代を生きる絵描き同士、“お互い”頑張りましょうね!

それではこの辺で。
絵画について語る事が出来てとても有意義でした。
(勝手にベラベラ喋ってしまいました。ごめんなさい。汗。)
この度はメッセージをどうもありがとうございました。







2009年11月19日(Thu) 名もなき画家


(投稿者により削除されました)







2009年12月5日(Sat) はなふさあんに

【では一緒にガブリエルの美術解剖でもしましょう。】

名もなき画家さま、こんにちは。お返事が大変遅くなりまして、誠に申し訳ございませんでした。

自分の作品が自分の死後、この世に残されるのならば身に余る光栄と思います。しかし何分、残すかどうかは後世の人の自由になっておりますし、残された者の衣食住をないがしろにしてまで芸術を残す意義を私は感じていませんので、期待はしておりません。「墓は残る者の為」精神です。その前に、根本の地球自体が何時までも存在し続ける保障が全く無いですしね。ただ、己の人生が終わるまでの“期限付き”でしたら、やはり“残したい”と言う欲はあります。私の作品を貧困の中に投げ打って雇用の場を生み続ける土台にしたい、と私は野望に燃えているのです。へへへ。

芸術の価値観が下がっていると、学生さん達の間で議論があるのですか?現代はメディアが急速に発達して昔とは桁違いに娯楽が増えましたからね。面白い物が沢山あって、そちらへ人々が流れている分、芸術を観る人間が減っているのは先ず仕方の無い事ですね。芸術を“敬遠”する人々の気持ちは何となく私にも分かります。実は私は美術館や画廊にあまり足を運びません。私の様な人間ですら行かないのですから、興味の無い人々は余計でしょう。特に画廊などは不慣れな人にとっては近寄り難い物がある様で、以前、出かけ先でフラっと見つけた画廊に入ろうとしたら、連れの皆が「入っていいの?勝手に入っていいの?」と心配し出す始末でした。これが世間の正直な「芸術」に対する印象なのです。あまり「芸術芸術」と難しい物であるかのごとく内々で凝り固まって“奥深さ”の理解を求めたりせず、鑑賞者の感情や背景を尊重し理解し、同じ空気の中でキャッチボールをしながらやって行く必要性を感じます。それが出来ないものは芸術で無くとも軽視されて行くのが世の必然ですから。古い価値観に囚われず、世間の流れに乗った上で望む時代を作って行く。テレビ東京の「なんでも鑑定団」などは見習うべきお手本ではないでしょうか?受け身に甘んじて嘆くだけでは何も解決しません。自分が何をすれば「重視して貰えるのか」を考えましょう。アートマーケットに出ていると良く「個展はしてるの?」と訊かれるのですが、私は個展をした事は無いですし今後するつもりもありません。なぜなら私の周囲の人々が“個展会場”に足を運ぶ習慣が全く無いからです。


バーン様の存在は、映画館で『仮面の男』を観て初めて知りました。私はTVでもDVDでも映画を殆ど観ない人間なのですが、『三銃士』が好きだったので重い腰を上げて映画館へ行ってみたら、おじさん4人が魅力大爆発ドーン!アラミスもアトスもポルトスも美しく人間臭く完璧に良かったですが、やはり一番印象に残ったのは際立ってスマートだったダルタニャンで、ダルタニャンと言うより役者の演技に惚れてしまったと言う訳です。
『ユージュアル・サスペクツ』で、バーン様が指で自分の歯をグリグリ磨いているシーンがあるのですが、普通おじさんがそんな事をしていたら、「ヒッ!お父さん不潔!」と女子高生を先頭に女性陣から大ブーイングの嵐なのに、何故かバーン様は絵になっていて、魅力すら漂わせていて、いやはや、タダ者じゃ無いと思いました。
私が一番気に入っているバーン様の演技は、『スティグマータ 聖痕』の冒頭、水商売の女性達からの誘いの声に、サッと外套の襟を開いて自分の着ている神父の服を見せる仕草。く~ッ。カッコつけやがって!この色男め!
立ち居振る舞いが儀式の様に美しいのに、反面なんだか間の抜けた動作を時々覗かせていて、もしかして、あのユッタリと気品に満ちた物腰は運動音痴の賜物なのでは無いのかと、私は思ったりして、その愛嬌に余計に魅力を感じます。容姿はどちらかと言うと少年のようで、とても愛らしい笑顔を見せたりして、世のおじさん達のお手本となるような『連れて歩きたい男』ですね。
『ミラーズ・クロッシング』はぜひ、観て下さいね。とても面白い作品です。お若いバーン様の魅力がいっぱいですし。『フランキー・スターライト』『エンド・オブ・デイズ』は、バーン様の 魅力は出ていますが、大満足とは行かないかもしれません。主役じゃない故その辺はご勘弁です。『スパイダー』『悪女』は、バーン様の魅力が存分に生かされているとは言えないのですが、演技は素晴らしいです。
先に言った通り、私は映画自体を殆ど観ないので、バーン様出演の作品も何とかやっと数本観た限りです。名もなき画家さまがご覧になっておられなさそうな作品で私が観賞済みの物は以上となります。これより話が広がらず申し訳ないです…。

以前はハリウッドスターのクロッキーを良くしていたのですが、HPに載せる事を前提としてクロッキーをし始めてからは、肖像権などの配慮で控えています。鼻と口が大きくてシワの多いバーン様の顔はモデルとして最高なのですけれどもね。

それではこの辺で。
この度はメッセージをありがとうございました。







2009年12月25日(Fri) 名もなき画家


(投稿者により削除されました)







2009年12月31日(Thu) はなふさあんに

【大晦日ですね】

名もなき画家さま、こんにちは。ご家族でお祝いしたクリスマスはいかがでしたか?チキンは美味しかったですかー!?(アントニオ猪木のノリで。)

他民族の風習を「楽しそうだ!」と深く考えずに自国に取り入れてしまう日本人が、私は好きです。人種・宗教・歴史をスッカリ忘れて「面白い人好き!」「強い人好き!」「冬ソナの国の人好き!」「ビールとソーセージの国の人好き!」と、子供の様に隙だらけで大腕を広げてしまう人々を、私は貴重だと感じています。勿論、それが国際人として完全に正しい振る舞いであるとは言えないのですが(能天気な文化を抱えたまま他国の生活圏にドカドカ土足で踏み入ってしまう感覚は改めなければなりませんよね。)皆、根本的に悪気が無いですから、もし、キリスト教会から「クリスマスはバカ騒ぎしてケーキを食べる日ではありません!」とお叱りを受ければ、途端に顔を真っ青にして『クリスマスの由来』を学び始めるであろう日本人が、やっぱり私は好きです。

名もなき画家さまとは反対に、私はこの世のありとあらゆる物に神が宿っていると信じています。いわゆる日本の【八百万の神】を信じる多神教に当たるのかもしれませんが、私はお釈迦様もイエス様もブッダ様もアッラー神もシヴァ神も信じています。信頼できる誠実な誰かが「あれは神様です」と言えば、それがハエであろうとゴキブリであろうと、私は「ああ、そうなんですか」と、有り難く手を合わせて拝むでしょう。(金銭を要求する神様は信じませんけどね。)

名もなき画家さまは、偉人の言葉を沢山知っておられるのですね。素晴らしいです。私は子供の頃から読書が苦手で、読書家の友達が本を何冊も抱えているのを目撃すると「どうしてそんなに本を読めるんだ!」と疑いの入り混じった尊敬の目を向けていました。小学生時代、私は『読書の時間』に「レシピ本」をめくったりしていましたよ…(先生が「えっ!それっ?!」と言ったっきり黙ったのを覚えています。汗)。現在でも私は全く本を読みません。読書が有益な物である事は分かっているのですが、どうにも、相性が悪いのです。例えば、「吾輩は猫である。」と言う文章が目に入ると、…猫…ウリちゃん…外に居た…寒いだろうな…今日は何℃だ?……と、頭に思い浮かんだ情報の方が勝ってしまい、「名前はまだ無い。」へサラリと続けて読む事が出来ないのです。脱線しないように気を使って注意深く集中すれば、長編小説でも何とか読み続ける事はできるのですが、気疲れの記憶が強く残り、その後は本を読む気が失せます。私が唯一、作家の全集を読み切ったのが、星新一のショートショートである事が、何より不得手を物語っていると自分でも思います。と、言うわけで、情けない事に私には、高名な方々の発した言葉が何一つ頭に記録されておりませんので、ここで「私の好きな言葉はこれ」と合いの手を入れる事ができません。む、む、無念です。その変わりと言っては何ですが、私が中学生の時に、“ティッシュボックスを小脇に抱えて教室にやって来ていた花粉症の国語の先生”に偉く褒めちぎられた、“当時の私がプリント用紙につづった言葉”をここに発表します(この図々しさを褒めて下さい)。
「人生の壁にぶつかる時があったら、それは他人がいるせいだと思うよ」

お話変わりますが、前回の私の返事に言葉が足りなかった部分があり、名もなき画家さまには歯がゆい思いをさせてしまった御様子でしたね。ごめんなさい。別のページに追伸しましたので、この返信文上部の【Home】(私の名前の右にあるリンクです)をクリックしてお読み下さい。

除夜の鐘が鳴るまで、もう少しですね。
冷たい風に吹かれぬ様、お体を十分温めて年越しをお迎え下さい。
名もなき画家さまが無事に新年を迎えられます様、心よりお祈りしています。
本年は、誠にありがとうございました。







 = 以下、『掲示板サブ』から転載 = 





2009年12月31日(Thu) はなふさあんに

【名もなき画家様へ】

暗く重いニュースばかりが目立ち、お若い方達にとっては、これから社会に出て行こうと希望に燃える時期であるのに、無用な不安と闘わなければならない日々をお察しします。

確かに昨今、殺人事件の報道が増えていますが、日本には過去、メディアの未発達で表沙汰にならなかった殺人事件や虐待事件は幾らでもあったと思います。「えた・ひにん」「嫁いびり」「障害への差別用語」など、人権を無視した酷い習慣も多くあったと伝えられています。親兄弟から離され、奉公先で孤独に働かされた幼い子供たちの話は、現在でもお年寄り達から聞く事ができます。また、非道な戦争を起こし、信じられない程の人間が殺し殺された過去もありますね。

人間が他者を軽視する現象は今に始まった事では無く、今が特別なのではありません。残念な事に人間の争いは放って置けば幾らでも発生します。故に、警察や司法と言う物が誕生したのです。平和は平和を願う人間が当事者として介入し行動し作りあげて行かなければ維持が出来ません。嘆き不満を言うだけでは駄目なのです。


私にも若い頃があったので、若者の言葉の悪さについて一つ言える事が有ります。それは「いきがる」とか「からいばりする」とか言いますけれども、子供から大人へと成長する生存競争の重要な時期に、自分を強く見せ、競争相手を蹴落としてでも自我を確立しようとする、生き物として正常な、たくましい本能ではないのかと思うのです。

人間の誰もが、大人になる前にその状態を通り、社会に出て多様な人々との交流を経験して行く内に、他人と協力し生きて行く必要性を学び、自愛を自ら落ち着かせ社会に安定します。自分が何を言ったら、何をしたら、社会の和を乱し、非難を受け、結果自分が困窮し苦しむのかを、考えるようになるのです。どんなに憎々しい相手にでもお茶を出し、本音の悪口を隠して「お世辞」を言ったりする大人が沢山いますでしょ?

成人後の人間でも、多かれ少なかれ、行動や口に出して他人を傷つける事がありますが、それは“相手に嫌われても自分は平気だ”とか“どんな我がままをやっても自分は安泰である”とか“死んでも俺はおべんちゃらなんか言わねえ”と、そんな判断を下した時に出るものです。結局は【生きられるか、生きられないか】なのです。

自己を犠牲にし、【思いやり精神】を万物に貫く崇高な宗教家が稀に存在しますが、殆どの人間は、どんなに教授されても、その真似をする事は出来ません。「自分には思いやりがある」と胸を張っていても、自分の大切な人には【思いやり】を発揮し、嫌いな人間・動物・爬虫類・虫には一切【思いやり】を発揮しない、と言う人が殆どでは無いでしょうか。ユニセフが訴える『お腹を空かし涙を流す子供達』に同情をしても、私達はまず自分の裕福な生活を潤し、その後の余力で【思いやり】を提供します。それが良い悪いと言っているのではありません。ただ、生命とは、綺麗事では無いのです。

大地の生命を奪わなければ、人間は空腹で死んでしまいます。元々どんな生き物でも、植物でも、微生物でも、生きる為に他を犠牲にし“悪”を振います。それが、この世の生き物の前提であり、人間が【他に配慮する】と言う行動は、集団社会に入り込まなければ身に付きません。現代、ネット上で他人を不愉快にさせる人間が多く居るのは、単に、集団社会に属さない『匿名』が御丁寧に用意されているからであって、元々人間は、自分に害が及ばないと知れば「腹に抱えている言いたい事を言う」ようになるのです。私だって、口に出しては言いませんが、「転んで電柱にぶつかって死んじゃえばいいのに!」と思うムカつく人は沢山います。でもそれを言わないのは、“多くの他人の内の一人は自分である”と、重々承知しているからです。ネットでの誹謗中傷を無くすには、業界が『匿名性』を排除するか、国が法律を設けて罰するしか方法は無いと思います。それが、人間なのです。


以下は、未来に向かって目標を大きく持つ、頼もしい、名もなき画家さまに、期待を込めて助言申し上げます。

“他人の感情に配慮しない人間”にも、複雑な“感情”があります。まずこちらが、その“感情”に配慮し、敬意を払い、何故『他人を配慮しないのか』を心から理解しようと試みて下さい。必ずどんな行動の裏にも“理由”が有ります。その根本をどうにかしない限り、いくら「自分がどれだけ傷付けられたか」を一方的に訴えても、相手は「だからどうした」と反発するだけです。だって、相手にも相手なりの、悪気の無い正当な理由(たとえ道徳に反していようと)があるのですから。その理由は、先に述べたように【若さゆえの経験不足】と言う事もありますし、持って生まれたどうにもならない【生理的】なもの、また【生まれ育った環境】や【偏った思想・自尊心】から生じている場合もあります。そして【孤独・貧困・病気・障害・虐待・事故・介護・愛情不足・両親の不仲・進学の不遇・就職難・人間関係のストレス】等の、“負の問題”が根底に潜んでいる場合もあります。彼ら自身が既に“被害者”の立場に居るかもしれないと言う可能性を、どうか忘れないで下さい。

人は皆、『自分を理解してくれる人間』に心を開き、影響されるものです。即座に解決させる事はできませんが、昔から「親身になって叱ってくれる人」と言うものが存在しています。そういう人間が増えるといいですね。


良い時代に転ぶも転ばないも、【何をしたか】だけで無く【何をしなかったか】でも決まります。ですから、【何もせずにいる】事を選んでも、決して悪い事ではありません。しかし、その立場から、“悪い時代”に対して文句を言っても、恐らく、誰も耳を貸してはくれないでしょう。







2010年1月7日(Tue) はなふさあんに

【どうか、いらぬ気を揉まれません様に。】

名もなき画家さまとのやり取りは、私にとって日頃なかなか気に掛けられないでいる事柄について考える事の出来た貴重な時間でありました。心より感謝しています。

辛い体験をされた御様子ですね。大分時間が経ったと言うのに、ふとした瞬間にその時の悔しい気持をそっくり体感してしまうと言うのは、とても辛いですよね。恐らく、もう終わらせたいと御自分では思っているのに、どうにもコントロール出来ず苦しんでいるのではありませんか?

ひとつ、勘違いなさっておられる様なので聞いて下さい。無理矢理に恨みを捨てて、物分りのいい善人になろうとする必要は全く無いのです。辛かった事を解決させずに手放してしまうと、死ぬまでその辛さを思い出して苦しみ続ける危険があります。
人が人を恨む気持は、決して悪行でも不真面目でもありません。『清く正しく思いやり深く徳を積みなさい』と学校やあらゆる場所で教わったかもしれませんが、そんな美徳を完璧に遂行出来るほど人間は上等な生き物ではありません。犬や猫と同じように、自分を危険から守る為に怒り噛みつくのが当たり前であり普通なのです。
恨み事はどうか捨てずに持ち続けて下さい。人間の“危機に対する記憶”はとてもタフですので、時間はかかりますが、必ずいつか解決できると信じて下さい。

名もなき画家さまと同じように、私も学生の頃は数多く、友人などに馬鹿にされたり軽視されたりしました。それはそれは悔しかったですし、独り隠れて涙を流し怒り狂った経験もあります。今思い出してもうんざりしますが、成人後にまで私はその怒りを引きずりました。
しかし今は、ほぼ、解決しています。なぜなら、「みんな若さゆえだった」と思える様になったからです。そして、もしかしたら私自身も友人を傷つけていたかもしれない、と思えるまでに至りました。傷つけた方の人間は案外、深く考えずに行動した場合が多く、自分の行為を全く覚えてもいなかったりしますからね。
学生で無くなった後も私は意地悪な人間に多く遭いましたので、今でも時々ふと憎しみが頭に浮かんで耐えられず悲鳴を上げる事がありますが、しかし、いずれ、学友達との思い出が解決されたように、この問題もいつか解決できるだろうと信じています。

さて、今現在の苦しみをどうするかが重要ですね。もう試みておられるかもしれませんが、一般的に広まっている対処方法を以下に記します。

もし可能であるならば、どんなに自分が悔しかったのかを詳細に語る事ができ、直接的にでも間接的にでも現実的な解決策を提供してくれる、身近で信頼の置ける人物を探して下さい(最終的にはカウンセラー等の職業的な人物を頼る手もあります)。独りで抱え込んでいる所為で進展の望みが断ち切られている憎悪を外へ吐き出すと、まず解放感で心が軽くなります。運が良ければ、恨みを共有し直接解決の手伝いをしてくれる人に恵まれる事もあります。そうでなくても、聞き手の意見を知る事で自分の凝り固まった考えを修正し、解決に向かって進む為のヒントを手に入れられます。

他人に打ち明ける事が無理であるならば、悔しさを文字にして綴る方法をお勧めします。日記帳を利用しても良いですし、そう定期的に続けなくても一時的に書くだけで十分効果はあります。心の中のまとまりの無い怒りを紙の上に書き出し整理する事で、感情的な怒りが理論的になり少し冷静になれます。また、それを自ら読む事で自分を客観的に見れる様になり、解決の糸口となるような見えなかった部分に気づく場合もあります。

口に出すなり、文字にするなり、とにかく頭の中だけに留めずに全てを外へ出して分散させてみて下さい。
【忘れちゃならない許せない恨み】を頭の外にコピーして残す事で、「頭の中の方の記憶はもう頑張って覚えておかなくても良いんだよ」と自分の心をリラックスさせて上げられると良いですね。

勿論、この掲示板に悲しみや不満を綴られても全く問題はありません。私はどんな内容のメッセージにも喜んでお返事をするつもりでいます。ただし、どこのネット掲示板でも同じだと思いますが、やはり私は名もなき画家さまの“身近な人間”ではありませんので、第三者としての客観的な意見でしか返信ができません。それはまた、思いやるには情報が少なすぎる故の冷酷な意見でもあると言う事を覚えていて下さいね。

名もなき画家さまに何かあった時に、すぐに温かい手を差し伸べて支える事の出来る人間を、まず、何より先に頼って下さいね。

辛い経験をしながらも前へ進むことが出来る、名もなき画家さまは、
必ず、辛い思いをしている若者に同情の心強い手を差し伸べられる様な、
頼もしい立派な大人になります。

最後にひとつ。
【頼もしい】と世の中が認める人物達が皆、
弱みを見せたり、図々しくしたり、恥をかいたりしながらも、
平気な顔をしてドンと構えている事に気づいておられましたか?
私達も、その【強さ】を習得できたらいいですね。








ホームへ皆様との対話トップへ>2009年11月19日・名もなき画家様